23日開幕の第91回選抜高校野球大会は「平成最後の甲子園」となる。引退したイチロー選手(45)も愛知・愛工大名電のエースとして1991(平成3)年の第63回大会に出場した。「平成のセンバツ」を振り返る。
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「平成最初の甲子園」だった1989年春、第61回大会は東邦(愛知)が4度目の優勝を飾った。上宮(大阪)との決勝では延長十回、三塁手の二塁送球がそれてバックアップの右翼手も後逸。外野を転々とする間に走者が生還してサヨナラ勝ちした。無情な結末は今も語り継がれる。
第64回はラッキーゾーンが撤去され、大会通算本塁打が前年の18本から7本に激減。それでも星稜(石川)の松井秀喜(元ヤンキースなど)は3本塁打を放って存在感を示した。第65回では従来の通称「陽(ひ)は舞いおどる甲子園」に代わり、新大会歌「今ありて」が採用された。第67回は開幕の約2カ月前に阪神・淡路大震災が発生。甲子園球場も通路やアルプス席に亀裂が走るなど、開催も危ぶまれた。被災地の兵庫から3校(育英・報徳学園・神港学園)が選出。神港学園は8強入りした。
第69回は日高中津(和歌山)が分校で初の甲子園出場。初戦で敗れたが歴史に名を刻んだ。「平成の怪物」が力を発揮したのは第70回。横浜(神奈川)の松坂大輔(中日)が5試合連続完投で優勝に導いた。第71回は沖縄尚学が頂点に立ち、沖縄勢が春夏通じて初めて全国大会を制した。
新世紀になり、夏の全国選手権大会とは一線を画す試みが取り入れられた。第73回で「21世紀枠」が新設され、安積(福島)と宜野座(沖縄)が選出。宜野座は準決勝まで勝ち進んだ。第75回からは明治神宮大会で優勝したチームの所属地区から選ぶ「神宮大会枠」と守備力を重視して選出する「希望枠」が導入された。花咲徳栄(埼玉)―東洋大姫路(兵庫)は延長十五回制になって初の引き分け再試合となった。
様々な記録も生まれた。第76回は東北(宮城)のダルビッシュ有(カブス)が熊本工戦でノーヒットノーランを達成。創部3年目の済美(愛媛)が初出場初優勝した。第78回決勝は横浜が清峰(長崎)を21―0で下し、決勝史上最多得点と最多得点差を更新。その清峰は第81回、エース今村猛(広島)を擁して長崎勢初優勝を遂げる。東日本大震災が起きた直後の第83回は「がんばろう! 日本」をスローガンに掲げて開催。創志学園(岡山)が創部1年目で初出場した。第87回は敦賀気比(福井)が制し、北陸に春夏通じて初めて優勝旗を持ち帰った。第89回決勝は初の「大阪対決」に。大阪桐蔭が履正社を破って優勝。第90回も制して史上3校目の大会連覇を達成した。根尾昂(中日)は史上初めて2年連続の優勝投手となった。(辻健治)