プロレスが再び盛り上がりを見せている。力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木らが礎を築いてきた日本のプロレス。かつてはテレビのゴールデンタイムで放送されるなど、人気番組の一つだった。2000年代に入り「K―1」や「PRIDE」など格闘技の人気におされて、下火になった時期もあった。
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それが、最近のプロレス会場には女性やファミリー層のファンが詰めかけるなど、一昔前の男性ファンばかりのいかついイメージから、変わりつつある。その業界をリードしているのが新日本プロレス。社長にはオランダ出身のハロルド・ジョージ・メイ氏が就く。
年150回の興行は常に盛況。試合のライブ配信などを行う動画サービスは、世界各地から加入者が集まっている。昭和の日本で人々を熱狂させたプロレスが、なぜ今、再ブームを迎えているのか。メイ社長に聞いた。
「暗黒時代」から脱却したのは…
《日本のプロレスとの出会いは8歳の時。父の仕事の都合で来日し、日本語も英語もわからなかった少年にとって、テレビで見たプロレスは衝撃的だった》
メイ社長 「当時はオランダ語しか話せませんでした。テレビでバラエティー番組やニュース番組を見ても意味がわからない。そんな時、夜のゴールデンタイムにテレビで放映されていた『ワールドプロレスリング』を見たんです。プロレスには言葉がいらない。楽しかったですね。おやじと一緒にテレビを見て、先日亡くなったザ・デストロイヤーさんやアブドーラ・ザ・ブッチャーさんに熱中しました」
《サンスターの執行役員や日本コカ・コーラで副社長を務め、タカラトミーでは社長として手腕を発揮した。経営のプロとして、子どもの頃に大好きだった新日本プロレスからトップ就任の声がかかった》
メイ社長 「プロレスに関われ…