国際捕鯨委員会(IWC)から日本が6月末に脱退することに伴い、日本の商業捕鯨が約30年ぶりに再開される。国内外でさまざまな議論が飛び交うが、そもそもクジラを食べる「鯨食(げいしょく)文化」とは何か。歴史や地域ごとの特色を探る。
四方を海に囲まれた日本列島。縄文時代の遺跡からは鯨の骨が多く出土している。海岸に打ち寄せられた鯨を解体して食べたとみられている。
文献の中で鯨食に関する記述が多くなったのは室町時代。同時代に編まれた料理書「四条流包丁書」には鯨肉を称賛する記述もある。銛(もり)を打ち込む漁法が愛知県の知多半島で始まったのは戦国時代後期。江戸時代になると、鯨を捕る職能集団「鯨組」が和歌山県太地町に誕生。平和な時代になったことに伴う地域活性化策でもあった。さまざまな調理法や保存法が生まれ、輸送手段が発達したのも江戸時代である。
やがて昭和となる。敗戦後の食糧難。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥は鯨が日本人の重要なたんぱく源になると判断し、南極海での捕鯨を許可した。そして昭和30~40年代には鯨料理が学校給食として頻繁に出された。人気は竜田揚げ。
「今もうちの定番メニューです。かみしめると、醬油(しょうゆ)の香りが口に広がるのです。『懐かしいね』と年配のお客さんは喜んでくれます」。東京・浅草で鯨料理店を営む河野通夫さん(73)は話す。
■国民1人あたりの消費…