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「パパはすぐ帰るからなあ」子思う紙芝居、描いたのは誰

旧日本兵の男性が中国からの引き揚げ体験を、わが子に伝えようと描いた紙芝居。さまざまな巡り合わせで原画を入手した米国の男性が、作者や関係者を捜している。「ちちかえる」と題され、丁寧な筆致で帰還への思いが表現されている。


紙芝居は、広島インターナショナルスクール(広島市)の校長を1980年代に務め、現在は米ミネソタ州に住むウォルター・エンローさん(70)が、知人の米国人女性から預かったという母から託された。


「終戦になつてお父さんが日本へ帰る途中 本当にあつたことを思いだして作つたものです」


こんな言葉でお話は始まる。中国から引き揚げる際の情景や出来事を、カラーで描いた19枚からなる。


「本当ならもう一歩も歩けないのですが 日本へ帰るんだ帰るんだと そればかりを楽しみに 重い足を引きずつて歩きつづけました」。歩けなくなって遅れた友人を迎えに行くと、現地の人に身ぐるみをはがされていた。7歳の物売りの女の子は最後に残った一つの芋をくれた。その芋のむこうには日本にいる家族一人ひとりの顔が浮かび、「みんな待つていてくれ パパはすぐ帰るからなあ」と結ばれている。


紙芝居は、エンローさんの母キャスリンさん(2013年に86歳で死去)が、90年代、知人の女性から託された。その女性も紙芝居をどのように見つけたかは覚えていなかったが、「作者の家族に返したい」と考え、牧師の夫と61年から89年まで日本で暮らしたキャスリンさんに相談した。


エンローさんによると、女性は米国赤十字のスタッフとして60年代に沖縄におり、紙芝居の入手はそのころではないかと推測している。出版社「学芸図書」の封筒に入っており、封筒には手書きで「KAMISHIBAI」「K.Sakamoto」と書いてある。


紙芝居の裏面には誰かが英語を書き加えており、物語の訳のほか、「物語と絵は、父自身の作/自分の誕生日に、子供達を思って楽しみのために描いた/1949年7月1日」と書き込まれている。


キャスリンさんは日本大使館や、東京の駐日米大使館に相談したが、情報は得られなかった。


エンローさんも両親とともに12歳で来日、高校時代を広島で過ごし、80~88年に広島インターナショナルスクールの校長を務めるなど日本との関わりが深い。2017年までミネソタ州のハムライン大学で教授を務めるかたわら、作者や家族の手がかりを得ようと紙芝居を絵本にして米国で自費出版した。このほど、広島での経験などをまとめた本を和訳することになり、翻訳する広島市の市民団体「ヒロシマ・スピークス・アウト」(浜井道子代表)にも関係者捜しを頼んだ。


エンローさんは「家族との再会を切望する、心を打つ普遍的な物語。なんとか作者の家族にお返ししたい」と願っている。


情報提供は浜井さん(090・1339・0749)へ。(大隈崇)


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