あと約500日で、再びオリンピックが東京にやってくる。栄光を勝ち取った選手がいれば、負けて涙した選手もいる。裏方として力を尽くした人がいれば、まさに今、2020年に向けて走っている人もいる。五輪にまつわる様々な人や場所を、記者が訪ねます。
「おれについてこい」言われなかった
平均視聴率66・8%。
日本のスポーツ中継史上、最も高い数字をたたきだした試合は、野球でもサッカーでもない。
初めてアジアが舞台となったオリンピック、1964年東京五輪で、バレーボールの全日本女子が金メダルを決めたソ連との一戦だ。
15日間の大会も大詰め。翌日に閉会式を控えた10月23日夜だった。場所は駒沢屋内球技場。選手たちは、重圧と闘っていた。
「3日ほど前から食事が思うようにのどを通らなくなっていました」。こう明かすのは、エースアタッカーだった谷田絹子(79)=現姓・井戸川=だ。
同じ日、バレーボールと同じく東京大会で初採用された柔道で、無差別級の神永昭夫がアントン・ヘーシンク(オランダ)に決勝で敗れた。最後の練習を終え、宿舎で食事をとりながら見ていたテレビ画面に、その光景は映し出された。
■当時の選手が語っ…