名古屋の繁華街、栄。かつて名古屋では一人勝ちと言われ、商店主らは「お互いの顔もわからないような関係」だった。それを一変させたのは、高層ビルの建築ラッシュが続いた、名古屋駅周辺の盛り上がりだった。
栄の街、どえりゃー変わるらしいわ キーマンを直撃した
発祥の地で攻める松坂屋 反転へ商機と活気を追う戦略
名古屋の中心部「栄ミナミ」。栄2丁目と3丁目あたりのエリアを指し、八つの商店街と18の町内会が集中している。10年ほど前までは、一緒に街を盛り上げる動きはほとんどなかった。2007年の「栄ミナミ音楽祭」でまとまった。
今年は5月11、12の両日に開催予定で、550組以上のアーティストが参加する。百貨店が並ぶ大津通沿いや矢場公園のほか、大須、名駅、金山がライブ会場になる。07年は13会場だったが、今では43会場の大規模イベントだ。
「名駅」に危機感
南大津通商店街振興組合理事長の藤井一彦さん(64)は「音楽祭が、この地域の相互理解が進むきっかけだった」と話す。07年に商店街や町内会のメンバーで栄ミナミ音楽祭を開催した。
準備のため、実行委員会メンバーが2週間に一度顔を合わせた。近い町内会の役員でもほとんど話したことのない人ばかり。「一緒に飲んでコミュニケーションをとる機会がものすごく増えた」と藤井さんは話す。
「かつては商店街も町内会も、にぎわい作りでまとまりがあるわけではなかった」と藤井さん。自分の商店街の町内会の中だけで活動することがほとんどだった。
商店街と町内会が「一つにまとまろう」という機運が生まれたのは、00年ごろから名古屋駅周辺に、JRセントラルタワーズなどの高層ビル建設が相次いだのがきっかけだ。プリンセス大通商店街協同組合理事長の白瀧正人さん(63)も「危機感を持った」と振り返る。
名古屋の繁華街と言えば「サカエ」だったが、しだいに人の流れは「メイエキ」に向き始めていた。
「もう栄の一人勝ちとは言えなくなる」。名駅の再開発の話題が連日ニュースなどで流れ、「栄の地盤沈下」とまで言われる状況に商店主たちが動き始めた。白瀧さんは「栄とはどういう場所なのか、考えるところから始めた」と話す。そこで出た名駅にはない栄の魅力の一つが、「周遊」だった。
母体の会社設立
音楽祭でまとまり、巻き返しを図る「栄ミナミ」。16年には、五つの商店街が出資した会社「栄ミナミまちづくり」を設立し、さらに結束を固めた。社長には藤井さんが、副社長には白瀧さんが、それぞれ就任した。現在は協議会と会社が音楽祭を共催しているが、いずれは会社に移行する予定だ。
会社を作ったのは、次の世代へと「まちづくり」をつなぐためだ。「以前は我々の熱意だけでやってきた。将来も継続していくためには運営母体が必要だった」。まちづくり会社社長、商店街連盟の会長、町内会長……。いくつもの肩書を持つ藤井さんは言う。「全部1人でやっている。分割しないと次やる人が困っちゃうでしょ」と話す。
まちづくり会社のメリットは、商店街や町内会という組織の枠を超えて運営できることだ。16年から始めた貸自転車の「でらチャリ」はその一例。栄ミナミと大須に五つある無人の駐輪場から借りることができる。エリア拡大も検討されており、街と街をつなぎ、周遊してもらうのが狙いだ。
18年には都市再生推進法人の指定を受けた。公共地での取り組みがしやすくなり、行政に街づくりの提案をすることもできる。藤井さんは「商店街や町内会単位でなく、大きなエリアとして捉えて発展を考えていかないといけない」と語った。(山下奈緒子)
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ええがやの心で 料亭「蔦茂」社長の深田正雄さん
〈若い人たちにチャンスを〉
栄はかつて「危ない街」というイメージがありました。栄ミナミ地域活性化協議会長として、「このままじゃいかん」という思いから街づくりに取り組んでいます。
藤井一彦社長など僕より少し下の世代のアイデアを、街づくりに生かそうと動き出したのが15年ほど前。我々では思いつかないような挑戦をしてくれています。よそ者、変わり者が集まり、いろんなアイデアが生まれました。
うれしいのは、さらに若い世代が出てきたこと。今の担い手が永劫(えいごう)続けられるわけではない。一人が長いことやると、ある意味で公正さを欠いたり独走したりする可能性があります。一番いけないのは、何もやらないこと。やりゃあ何か生まれます。若い人たちにチャンスを与えてやってみる。「まあ、ええがや」の気持ちが大事です。