あの時、新入社員だった――。2005年春、107人が死亡するJR宝塚線(福知山線)脱線事故が発生し、憧れの鉄道会社は入社から25日で「加害企業」になった。「おわびから始まった」と振り返るJR西日本社員の仲野憲司さん(36)。社員の4割が事故後の入社となり、自身の経験を後輩に伝える活動をこの春から始めている。
05年4月25日午前9時18分、塚口―尼崎間で脱線事故が発生すると、当時、大阪府吹田市内で研修中だった新入社員にも一報が入った。
列車に乗っていた家族がいないか確認されたが、事故の詳しい内容は知らされず、研修はそのまま続いた。仲野さんが惨劇に気づいたのは、研修後に見たテレビの映像だったという。
「え」。衝撃で言葉が続かない。5月1日付で事故現場に近い宝塚線の川西池田駅(兵庫県川西市)への配属が決まっていた。
最初は地区の駅を統括する宝塚…