平成のスポーツを彩った言葉を眺めると、「多様化の時代」が印象づけられる。その中からあえて一大ニュースを選ぶなら、Jリーグ発足だと思う。
千代の富士からイチローまで 平成彩ったスポーツの言葉
企業が広報活動の一環としてきたプロスポーツの構造を、地域が支える仕組みに転換させた。当初、「きれいごと」と批判された地域密着の発想は、バブル経済の崩壊も相まった企業スポーツの衰退とともに重要度が増した。応援する側も支える主体となるサポーターという言葉が定着した。
リーグは多様性に富む姿に成長した。今季、クラブ数は40都道府県に55。王者を目指すのか、身の丈で地域活性化に寄与するのか、立ち位置はそれぞれだ。クラブに義務づけられる小学生への普及活動や中高年代の育成システムは、学校運動部以外に地域クラブでの活動という選択肢をもたらした。このJリーグの理念は、バスケットのBリーグが追随した。
広がりは、別の流れでも見られる。大リーグや欧州サッカーをはじめ、海外進出は当たり前に。レスリング、ラグビーなど「男性がする競技」は女性にも広がった。全競技を通じ、五輪メダリストの言葉は女性が印象的だった。
震災はスポーツの役割を考えさせた。「スポーツなどしていていいのか」「自分に何ができるのか」という迷いは、選手たちに競技の内外を通じた貢献の心につながった。当時の戸惑いが、徐々に忘れられていないだろうか。
スポーツ界の旧習、悪弊にとらわれた出来事は平成の終盤に目立った。
2013年に明らかになった高校バスケット部主将の自死と、柔道女子日本代表での指導者の暴力・パワハラ。今、スポーツ界はようやく暴力的指導の撲滅に向かっている。日大アメリカンフットボール部の悪質タックルは、選手に有無を言わせない強圧的な指導の残存を示した。
20年東京五輪・パラリンピックを巡っては、新国立競技場建設とエンブレムの当初案が白紙撤回に。いずれも密室の不透明な決定が、不信感を喚起した。
五輪の「レガシー」が盛んに論じられる。国力を誇る、施設を造る、経済効果を期待するという旧来型の発想ではもはや大切なものを残せない、ということを、人々が感じ取っているからだろう。
令和2年、世界が見つめる舞台でどんな新風を吹かせられるだろう。大きな宿題の提出期限は1年3カ月後に迫った。いや、まだ1年3カ月もある。(編集委員・中小路徹)