熊本県水俣市の海にすむタツノオトシゴの仲間「ヒメタツ」。かつて有機水銀で汚染された水俣の海の再生を伝える存在として、注目され始めている。貴重な出産シーンも収めた写真絵本が出版される。
タツノオトシゴ漂う穏やかな海 水俣湾に潜ってみた
熊本市出身の写真家、尾﨑たまきさん(48)は1995年、初めて水俣の海に潜った。水俣湾の外への汚染魚の広がりを防ぐ「仕切り網」が撤去される2年前のことだ。「すごい魚影で、多くの人が抱いていた『死の海』というイメージとは全く違う光景だった」
撮影を続け、写真展などを通じて命あふれる海の姿を発信してきた。なかでも、お気に入りとなった魚がヒメタツだ。体色を変えたり、海藻のような飾りを体に付けたり。かくれんぼが上手なことに興味を感じた。
タツノオトシゴの仲間は、雌が卵を産むための管(輸卵管)を雄のおなかの袋(育児囊(いくじのう))に入れて卵を産む。やがて赤ちゃんが雄のおなかから泳ぎ出る。約4年前、そんな様子を写真で記録しようと思い立った。
ところが早春から夏にかけての繁殖期、日中だといくら潜っても、そんなシーンに出合わなかった。水俣市内でダイビングショップを営む森下誠さん(49)に協力してもらい、早朝や夜中にも潜るようになって、貴重な繁殖シーンを撮影できた。
雌が卵を産むと雄は体をクネクネ動かして袋の中で受精させる。1回の産卵数は50~80個ほどで魚としてはかなり少ない。卵を守ることが雄の役目だ。
約1カ月後、卵から孵化(ふか)した赤ちゃんは、雄がダンスのような動きをした後、はちきれそうなおなかから海へ旅立つ。これを近くで雌が見守っていて、再び同じ雌雄の間で卵の受け渡しが見られることも多い。雌雄の絆がかなり強いのもヒメタツの特徴だそうだ。
森下さんは、水俣の海は「ヒメタツが安心していられる場所」だと考えている。泳ぎ回る魚ではないので、①隠れる藻場がある②餌の動物プランクトンが豊富③浅くても海が穏やか、と生息に必要な三つの条件を備えているからだ。この春もたくさんの雄が抱卵している様子を確認した。
尾﨑さんが著者の絵本「フシギなさかな ヒメタツのひみつ」(新日本出版社、税抜き1500円)が5月に出版される。写真をふんだんに使い、こうしたヒメタツの生態を分かりやすく紹介している。「ここで命をつなぐ魚たちの姿を見られるのは感動的。ヒメタツを通して、よみがえってきた豊かな海を感じてもらえたらうれしい」と尾﨑さんは話す。
2年前に新種として発表
ヒメタツは2017年、日韓の研究チームにより新種として発表された。それまではタツノオトシゴと混同されていた。チームの一員で神奈川県立生命の星・地球博物館主任学芸員の瀬能宏さん(61)によると、タツノオトシゴの仲間は現在約50種が知られているが、特に種としてのタツノオトシゴに近いグループは分類学的にうまく整理できていなかった。
そこでDNAなども調べて分類学的に再検討し、主に本州太平洋側の藻場にいるタツノオトシゴ、同じエリアの岩場にすむハナタツ、日本海側や東シナ海の藻場に見られるヒメタツの3種に整理し直した。
「ヒメタツはタツノオトシゴに比べてやや小さく、頭の突起が低いなどの特徴がある」と瀬能さん。水俣市などが面する九州西側の海は「ヒメタツとタツノオトシゴの両方がいて、種の分化を研究する上で貴重な面白い場所の一つだ」という。(米山正寛)