太平洋戦争末期の沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部。地下の洞窟(壕(ごう))の奥深くで土にまみれながら、那覇市の南埜(みなみの)安男さん(54)は日中の多くを過ごす。戦没者の遺骨や遺留品を掘り起こし、家族の元や故郷に返したい。その一心で。
旧日本陸軍第24師団司令部があった糸満市の壕。今月上旬、南埜さんはロープをつたって入り口の急斜面を下りていった。ごつごつした岩の間は、体がやっと通るほどの狭さの所もある。今年2月以降、ここに入るのは70回を超えた。
ヘッドランプを頼りに、たまった土砂をピッケルや手でかき分け、遺骨や遺留品がないか目をこらす。「地味な作業よ」。しばらくすると声を上げた。「万年筆が見つかった」。軍手で泥を丁寧にぬぐった。
堺市出身で、子どもの頃から戦争に関心を持ち、傷病軍人を見かけることもあった。十数年前、初めて沖縄を訪問。観光目的で毎年来るようになり、飲み屋で偶然、名も知れない多くの人たちの遺骨が、今も眠っていることを知った。戦後60年以上が経ち、遺骨の収集はすでに終わったと思っていた。「知っててやらんのはあかんな」。そんな思いが頭から離れなくなった。
49歳で運送会社を退職し、自…