差別や偏見に苦しんできた、元ハンセン病患者の家族の思いが届いた。国に賠償を命じた熊本地裁判決について、政府は9日、控訴しないことを決めた。「総理は一人ひとりに謝罪を」。真の解決に向け、家族らは安倍晋三首相との面会を求めている。
「私たちの闘いは、新しい段階に大きく前進する」
9日午後、原告や支援者ら約100人が東京都内で開いた報告会で、原告弁護団共同代表の徳田靖之弁護士はこう宣言した。
裁判に参加することがどれだけ苦痛だったか、つらい人生を思い出すことがどんなに大変だったか――。
ここまでの裁判を振り返り、原告の訴えが政治家を動かしたことをねぎらった後、こう続けた。「まだ課題はある。安倍総理は家族、原告に直接会って生の声を聞き、国を代表して一人ひとりに謝罪の思いを伝えてほしい」。12日の控訴期限までに実現させることを求めた。
報告会では、ハンセン病家族訴訟原告団副団長の黄光男さん(63)が昨年、訴えを届けたいと願って作詞・作曲した「思いよ とどけ!」をみんなで歌う場面も。拍手が鳴り響き、涙を流す人もいた。
「総理大臣と会って、私たちがどんな苦労をしてきたか話したい」。原告の原田信子さん(75)=岡山市=はその後の会見で、こう訴えた。北海道で暮らしていた子どものころ、父親が青森市の療養所に強制収容され、激しい差別を受けた。両親の墓は新潟にある。「私と母は苦労してきた。やっと国が認めてくれたと墓前に報告したい」
原告の奥晴海さん(72)=鹿児島県奄美市=は会見中、何度も涙をぬぐった。「総理は私たちに会い、心からの謝罪をしてほしい」と話した。
原告団長の林力(はやしちから)さん(94)=福岡市=は、父親の写真に「もう隠す必要がないんだよ」と手を合わせて報告したいという。
「長い道のりだった。12歳から94歳まで人生のほとんどの背景にハンセン病があった」。13歳を迎える夏、父親がハンセン病の療養所に入った。父親は「親がハンセン病患者であることは、終生隠し続けろ」と言った。「国が誤った認識を与え、偏見を生んだ。無知こそ差別の始まり。全力を注いで解決していただきたい。それが亡き人々に対する一番大きな答えだ」
一方で、熊本地裁判決では原告561人のうち、2002年以降に被害が明らかになった20人分の請求が棄却された。徳田弁護士は「棄却された20人を含む被害者全員について、一括で一律に被害回復するための枠組みを設けてほしい。控訴期限内に政府との協議の場が設けられない場合、20人については控訴する可能性がある」と訴えた。また、被害を受けたが、いまだに名乗り出られない家族に向けても、「呼びかけに応じてくれるのを待ちたい」と述べた。(関口佳代子、黒田壮吉、編集委員・北野隆一黒田壮吉)
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