米大リーグのシーズン最多安打記録「257」を84年間保持した伝説的名選手、ジョージ・シスラー(1973年に死去)の息子ジョージ・シスラー・ジュニアさん(88)=米オハイオ州在住=が終戦直後に米占領軍中尉として来日し、日本のプロ野球復興にかかわっていたことが、関係者の日記などからわかった。父シスラーの記録は昨季、日本人野手初の大リーガー、イチロー選手(マリナーズ)に破られた。60年前、廃虚の日本に息子が種をまいてプロ野球を国民的娯楽に育て、父の記録を破る日本人選手の出現につなげた。
故シスラーの孫デーブ・シスラーさん(48)は毎日新聞の取材に対し「歴史の皮肉かもしれないが、非常に興味深い」と話した。シスラー・ジュニアさんは現在、病気療養中で当時の記憶をたどることができない。
シスラー・ジュニアさんは45年に来日し、すぐに「プロ野球育ての父」といわれる鈴木惣太郎氏(82年に92歳で死去)と知り合い、鈴木氏の自宅でしばしば食事をするなど交流を深めた。その縁で、鈴木氏が戦後初のプロ野球試合「東西対抗」(45年11月23日、神宮球場)開催のために、占領軍と交渉を重ねた際には、仲介役を果たした。鈴木氏は同年11月10日の日記で「ジョーヂ・シスラアーと会ひ、神宮球場使用のことをたのんだ」と記している。使用許可は、その3日後に出た。
日米野球史を研究している常磐大国際学部、波多野勝教授は「東西対抗が短期間で実現する背景に2人の交友があった。その出会いは日本の野球界には幸運なことだった」と話す。シスラー・ジュニアさんは帰国後も野球に情熱を持ち続けた人物。鈴木氏は、初対面時の日記に「ヂョージ・シスラアーの息子が中尉で従軍して来てゐた。シスラアーによく似てゐる。この人も温厚の快男児だ」とつづっている。【徳丸威一郎、ロサンゼルス國枝すみれ】