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2006年5月,被称之为日本财界大本营的“日本经济团体联合会”(日本经团联,Japan Business Federation)将在总会上选举佳能公司(Canon Inc.)总裁御手洗富士夫出任会长。过去,经团联的会长都是来自钢铁、电力、重型机械等企业,但是,御手洗总裁则是从制造数码相机及精密机械的IT(信息技术)行业中选出的,他本人在美国工作过23年,如此亲美的企业家出任会长这在经团联还是第一次。
丰田汽车公司张副董事长曾赢得很高的呼声
将要就任日本经团联会长的的御手洗富士夫佳能总裁
日本经团联奥田硕会长(丰田汽车公司董事长)在考虑下任会长的候选人时,曾推举过三人:丰田汽车公司副董事长张富士夫、日立制作所总裁庄山悦彦及佳能公司总裁御手洗。奥田认为三人中张富士夫是最佳人选。这样做不仅能让丰田人接替丰田人的职位,而且现任经团联名誉会长丰田章一郎担任经团联会长时,张富士夫作为丰田的副总裁支持过经团联的工作,对经团联非常熟悉。张富士夫宽以待人、很少树敌,所以丰田公司以外的人推荐他的呼声也很高。但是,丰田名誉会长告诫奥田说:“如果还是丰田的人来接班的话,这会让财界有种反感。所以不要考虑让张富士夫接班,要尽早决定人选,越晚张富士夫当选的可能性就越大。”
奥田曾找庄山商量过。在历届副会长中均有日立制作所的人,该公司对财界活动有着很深的理解。但是庄山认为自己公司业绩平平,担任会长责任太重,不能接任此职。这样一来就只剩下御手洗了。御手洗向奥田表示,自己可以就任会长。
“不提供政治资金”是否可行?
御手洗是佳能公司出身的第一任财界首脑。该公司的贺来龙三郎曾经担任过经济同友会(Japan Association of Corporate Executives)的副代表干事,他不想干副代表干事的工作,代表干事石原俊为此做过多次工作,而贺来则公开说过:“我讨厌财界活动”。
但贺来就任副代表干事后,恰逢中曾根原首相在脱离自民党(Liberal Democratic Party of Japan)后,这时又要回到自民党中去,中曾根说过一句名言:“政治家没有哲学,也没有理念”。贺来听到这句话后,说:“我不能提交政治资金”,并开始和其他的经济界人士拉来了距离。对御手洗来说情况又有些不同。佳能股东中外国人超过了50%,他无法让外国股东同意公司为日本政治家提交政治资金,只能通过子公司佳能销售公司(Canon Sales Co., Inc.)向外提供政治资金。对此经济界中有人认为,这是御手洗的弱点。
而奥田一贯主张为了加强经团联的发言影响力,有必要提交政治资金。
另一方面,御手洗在美国佳能公司一干就是23年,在那里构筑了销售体系。有不少人认为让御手洗能让日美关系更加良好。但是,御手洗对美国式的经营方式一直抱有疑问,而对日本的终身雇佣、企业内工会等给予高度评价。佳能与索尼公司和欧力士公司(ORIX Corporation)不同,没有反映美国式经营的“在公司内设置各种委员会”,而是和丰田公司、新日铁公司(Nippon Steel Corporation)一样,采用了日本式的经营方式。人们期待着作为经团联的会长,御手洗能够吸收日本和美国的优点来建设新的经营组织。
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財界の総本山と言われている「日本経済団体連合会」の会長に御手洗冨士夫・キヤノン社長が06年5月の総会で選ばれる。経団連の会長は今まで鉄鋼、電力、重電機など重厚長大の産業から選ばれていた。今回の御手洗氏はデジタルカメラや精密機械を作っているIT(情報技術)産業から選ばれた。その上に御手洗氏は米国に23年いた経歴を持っている。こうした親米派の経済人が会長になるのは初めてのことである。
張トヨタ自動車副会長 推す声が強かった
日本経団連会長に就任予定の御手洗冨士夫・キヤノン社長
奥田碩・日本経団連会長(トヨタ自動車会長)は次の会長候補者に張富士夫・トヨタ自動車副会長、庄山悦彦・日立製作所社長、御手洗氏を考えていた。この中で奥田氏としては張氏が最適と考えていた。トヨタ-トヨタと続くが、張氏は豊田章一郎・日本経団連名誉会長が経団連の会長をしていた時に副社長として支えてきたことで経団連のことを良く知っている。人柄も温厚で敵も少ないことから外部からも推す声が多かった。ところが、豊田名誉会長が「トヨタ-トヨタと続くと財界から反発が出る心配がある。張氏を外して早くほかの人に決めるべきだ。遅れれば遅れるほど張氏になる可能性が出る」と奥田氏に忠告した。
奥田氏は庄山氏に打診した。日立製作所は歴代副会長を出してきており、財界活動には理解もある。ところが庄山氏は業績が芳しくないことと会長になるには任が重いと言う理由で断ってきた。こうした中で御手洗氏が浮上し、就任することを奥田氏に伝えた。
「政治資金出さない」でいけるのか
キヤノンという会社で財界のトップになるのは御手洗氏がはじめてである。経済同友会の副代表幹事に賀来龍三郎氏がなったことがある。このときも石原俊・代表幹事が嫌がる賀来氏を粘って説得した。賀来氏は「財界活動は嫌いだ」と公言していた。
しかし、就任した途端に当時の中曽根元首相が自民党に復党した時に「政治家には哲学も理念もない」と発言して注目された。賀来氏は「政治資金は出さない」と言って、他の経済人とは距離を置いていた。御手洗氏の場合、キヤノンが外人持ち株比率が50%を越しているために、政治資金は出せない。子会社のキヤノン販売を経由して出させるにしても、ここが弱点だ、という声が経済人の中で出ている。
奥田氏は経団連の発言力を強めるには政治資金を出す必要があると主張していた。
一方、御手洗氏はキヤノンの米国駐在として23年滞在した。米国での販売体制を作った男でもある。そうしたことから米国との関係は良好になるのではないかと言う見方が強い。ただ、御手洗氏は米国式の経営に付いては疑問を投げかけ、日本型の終身雇用、企業内組合などを評価している。キヤノンはソニーやオリックスのような米国式経営を反映した、「委員会等設置会社」になる考えはない。トヨタ、新日鉄と同じ日本型経営を続けていく。経団連会長として日米のよいところをとった新しい経営組織を作ることが期待される。 |