独フォルクスワーゲン(VW)は長年、ドイツの企業モデルの長所と短所の双方を典型的に示してきた。長期的な視点や優れた技術力への傾倒ぶりについては広く称賛されているが、その統治体制を見習おうとする首脳はそれほど多くないだろう。
これは先週辞任するまで同グループの会長として長年君臨してきたフェルディナント・ピエヒ氏個人の二分化した個性によるところが大きい。
ウォルフスブルグで開かれた式典から去るピエヒ氏(2012年4月)。25日、同氏はVW会長を辞任した=ロイター
ピエヒ氏のVWへの傾倒や自動車生産に携わる者としての手腕に誰も異論はない。同社を象徴する名車「ビートル」を設計したフェルディナント・ポルシェ氏の孫で、有能な技術者でもあるピエヒ氏は、VWの品質へのこだわりと商品としての洗練性を体現していた。1990年代初めには最高経営責任者(CEO)として、破綻寸前に陥っていたVWを救済。ウォルフスブルグの本社の多くの人々にとっては、聖人に近い存在だ。
■資産よりも負債に
だが近年、ピエヒ氏は資産というよりも負債と化してしまった。CEOから会長になると、企業戦略については支配力を維持するケースは多い。ピエヒ氏の権力は伝説の域に達していた。血筋や実績だけでなく、2009年以降は同氏が一部支配権を握る金融持ち株会社ポルシェがVWの議決権の過半数を所有していることがその理由だった。
ピエヒ氏の威光の下では、どのような経営責任者でもその影響から逃れたり、会長がこれまでに過ちを犯したことを示唆するような変更を加えたりすることはほとんど不可能になった。
上流階級で周囲と打ち解けない同氏は、高慢になってきたと感じる部下に容赦なく接した。06年にはベルント・ピッシェツリーダー前CEOを辞任に追いやった。ピエヒ氏自身の辞任は、自ら後任に選んだアウディの元トップ、ヴィンターコーンCEOを同様の目に遭わせようとした結果だ。
投資家が2人の確執の原因をいまだによく分かっていないことがこれを物語っている。ピエヒ氏の「ヴィンターコーン氏から距離を置いている」との発言がさらに詳述されることはなく、ピエヒ氏の辞任理由にもきちんとした説明はなかった。