您现在的位置: 贯通日本 >> 资讯 >> 社会(日语) >> 正文

車中泊で役場へ「自分は無力」 被災地職員、心も悲鳴

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2016-6-22 12:32:10  点击:  切换到繁體中文

 

写真・図版


同僚らと被害認定調査などについて話す島田誠也さん=5月27日、熊本県御船町、小宮路勝撮影


写真・図版


発生から2カ月が過ぎた熊本地震。被災地の自治体職員は自身も住民として被災しながら、避難所の運営や罹災(りさい)証明の調査などに追われる。先の長い復旧、復興の道のりには職員の心身の健康は欠かせず、そのケアが重要になっている。


被災自治体職員、心のケア急務 過労やストレスで休職も


特集:熊本地震 ライフライン情報など


特集:あなたの街の揺れやすさを住所でチェック


熊本地震 災害時の生活情報


4月16日未明の本震で震度6弱を観測し、家屋約2千棟が全半壊した熊本県御船町。今も約250人が避難所に身を寄せる。


町の男性職員(25)は、隣の嘉島町の自宅が住めなくなり、車中泊をしたり、町外の知人宅を転々としたりしながら出勤している。「朝、目覚めると体が半端なく重い」。この春、役場に就職して2カ月。ほとんど休みを取れないでいる。


最初の大きな揺れが襲った4月14日夜。両親を残して、マイカーで役場へ。2時間後には御船町内の小学校や保育園の見回りに出た。公務員としての責任感に駆られていた。


16日未明の本震後、避難所となった小学校は数百人の被災者でごった返した。夜が明け、役場から食料配給の連絡が入った。「もう少しで届きます」と住民に伝えたが、なかなか届かない。役場に問い合わせると「配給する食料はない」。住民におわびをすると「届くと言っただろう」と怒りの声が返ってきた。


午後、やっと小さな握り飯が200個届いた。「多くの人に配りたいので1個ずつでお願いします」と頭を下げると「うちは5人家族だぞ」。「自分は無力だなと。生まれて初めて味わう思いでした」


夜は避難所の運営。朝から役場で通常業務。車中での仮眠を挟んで夜、再び避難所へ。そんな2週間の後、がれきの仮置き場の監視や家屋の罹災(りさい)証明書のための現地調査に回った。「今は非常時」と自分に言い聞かせるが「仕事も家のことも、出口が全く見えません」。




 

新闻录入:贯通日本语    责任编辑:贯通日本语 

  • 上一篇新闻:

  • 下一篇新闻:
  •  
     
     
    网友评论:(只显示最新10条。评论内容只代表网友观点,与本站立场无关!)
     

    注册高达赢取大奖!

    09年2月《贯通日本语》杂志

    《问题餐厅》聚焦女性话题 焦俊

    日本第11届声优大奖结果揭晓 演

    东野圭吾作品《拉普拉斯的魔女

    松岛菜菜子裙装造型 “美到令人

    广告

    广告