同僚らと被害認定調査などについて話す島田誠也さん=5月27日、熊本県御船町、小宮路勝撮影
発生から2カ月が過ぎた熊本地震。被災地の自治体職員は自身も住民として被災しながら、避難所の運営や罹災(りさい)証明の調査などに追われる。先の長い復旧、復興の道のりには職員の心身の健康は欠かせず、そのケアが重要になっている。
被災自治体職員、心のケア急務 過労やストレスで休職も
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熊本地震 災害時の生活情報
4月16日未明の本震で震度6弱を観測し、家屋約2千棟が全半壊した熊本県御船町。今も約250人が避難所に身を寄せる。
町の男性職員(25)は、隣の嘉島町の自宅が住めなくなり、車中泊をしたり、町外の知人宅を転々としたりしながら出勤している。「朝、目覚めると体が半端なく重い」。この春、役場に就職して2カ月。ほとんど休みを取れないでいる。
最初の大きな揺れが襲った4月14日夜。両親を残して、マイカーで役場へ。2時間後には御船町内の小学校や保育園の見回りに出た。公務員としての責任感に駆られていた。
16日未明の本震後、避難所となった小学校は数百人の被災者でごった返した。夜が明け、役場から食料配給の連絡が入った。「もう少しで届きます」と住民に伝えたが、なかなか届かない。役場に問い合わせると「配給する食料はない」。住民におわびをすると「届くと言っただろう」と怒りの声が返ってきた。
午後、やっと小さな握り飯が200個届いた。「多くの人に配りたいので1個ずつでお願いします」と頭を下げると「うちは5人家族だぞ」。「自分は無力だなと。生まれて初めて味わう思いでした」
夜は避難所の運営。朝から役場で通常業務。車中での仮眠を挟んで夜、再び避難所へ。そんな2週間の後、がれきの仮置き場の監視や家屋の罹災(りさい)証明書のための現地調査に回った。「今は非常時」と自分に言い聞かせるが「仕事も家のことも、出口が全く見えません」。