のみ状の工具(上)と鉄鉗のX線CT画像。元の形に修正されている=鹿児島大学総合研究博物館提供
宮崎県えびの市の島内(しまうち)地下式横穴墓(よこあなぼ)群の一つ、139号墓(6世紀前半)で出土した鍛冶(かじ)道具に、象眼と呼ばれる技法の波文様の飾りが見つかった。同市教育委員会と元興寺(がんごうじ)文化財研究所(元文研、奈良市)などが12日、発表した。古墳時代の鍛冶道具で象眼装飾を確認したのは全国で初めてという。
同様の象眼がある大刀(たち)は韓国で見つかっており、被葬者が朝鮮半島ともヤマト王権とも結びついた金属器生産の統括者だった可能性があるという。
文様があったのは、のみのような工具(長さ約20センチ、幅9ミリ、厚さ5ミリ)と、焼けた鉄をはさむペンチ形の鉄鉗(かなはし)(長さ約15センチ、最大幅1・7センチ)。いずれも鉄製で表面を波形の線状に彫り、くぼみに銀を埋める銀象眼という技法で飾られていた。
出土した副葬品の一部を修理し保存するため元文研に運び、X線撮影をすると、2本の波状の文様が浮かび上がった。鉄鉗には太陽の文様もあった。
波状の象眼装飾は5~6世紀の朝鮮半島の大刀にみられ、5世紀半ばに渡来人が技術を伝えたと考えられている。大量の副葬品の中にはヤマト王権から贈られたとみられる品と朝鮮半島製の品もあった。
画像を分析した鹿児島大学総合研究博物館の橋本達也准教授は「大刀や馬具以外のものに象眼が施されているのは前代未聞だ。地域の生産業を統括しつつ、軍人として、朝鮮半島に行った可能性がある」とみる。日本書紀には朝鮮半島の援軍に九州から軍士500人が赴いたとの記述もあり、そうした活動に関わっていたことも考えられるという。
一方、元文研の塚本敏夫・埋蔵…