力投する松山聖陵のアドゥワ君=12日、阪神甲子園球場、金居達朗撮影
(12日、高校野球 北海2―1松山聖陵)
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松山聖陵(愛媛)のエース・アドゥワ誠君(3年)は熊本市で育ち、熊本地震で家族や親友の球児も被災した。「甲子園でプレーする姿を熊本に届けたい」。ナイジェリア人の父と日本人の母を持つ196センチの右腕は、12日の大会第6日第2試合の北海(南北海道)との初戦でサヨナラ安打を浴びて1―2で敗れたが、最後まで力投した。
幼稚園から中学生まで熊本市で過ごした。小学生のときの硬式野球チームで、後に熊本工の主将となる溝越圭太君(3年)と仲良くなった。互いに投手と遊撃手を掛け持つライバルだったが、カーブの投げ方を教え合うなどしてきた。「甲子園で会おう」。別々の高校に進む際、そう誓った。
それぞれチームの柱となったが、最後の夏を迎える前に熊本地震が起きた。心配で連絡をとった。「こんな揺れ初めて経験した。怖かった」と通信アプリLINE(ライン)でメッセージがきた。熊本工は休校し、練習もできない状態だと知った。
熊本のために何かしたい――。「俺、ここにおってええのかな」。熊本に住む母純子さん(47)に電話で漏らした。「大丈夫やけん。心配せんでええ」。本当は帰りたかった。だが、夏の大会が迫っている。溝越君も中学時代のチームのグラウンドで自主練習に励んでいた。「自分も負けていられない」。甲子園への思いを強くした。
7月、それぞれの地方大会が開幕した後も2人は励まし合ってきた。熊本工は準々決勝、延長十回で秀岳館に敗れた。「サヨナラやった。頼むけん甲子園出てくれ」。試合後、溝越君から夢を託された。「溝越の分まで絶対に勝つ」。決勝では1点差の接戦を勝ち抜いた。優勝した夜、溝越君からLINEで連絡がきた。「熊本の誇りだわ! 甲子園で暴れてこい」。「任せとけ」と返信した。
この日、毎回走者を背負う苦しい展開。それでも「絶対にホームは踏ませない」と六回2死満塁では4番打者を力強い直球で三振に。普段は冷静だが右手でガッツポーズをつくった。187球を投げきった試合後、アドゥワ君は「熊本に少しは元気を与えられたかな」と目を潤ませた。溝越君は自宅でテレビで観戦。「たくましくなっていてうれしかった。負けず嫌いの気持ちが球に乗っていた。自分ももっと頑張ろうと思える試合だった」と話した。(堀江麻友)