月桂冠の歩み
15日に89歳で死去した月桂冠の大倉敬一・元社長は、焼酎やワインブームで日本酒の消費が縮小していく厳しい時期に経営をかじ取りした。紙パック酒の商品化や高級な吟醸酒の普及など、日本酒の幅を広げることに取り組んだ。米国や韓国など海外にも出て、業界が生き残る道を探った。
元月桂冠社長の大倉敬一さん死去 京都の花街振興に尽力
「伏見愛した人」月桂冠・大倉敬一元社長死去
大倉氏は銀行勤務を経て1956年に大倉酒造(現・月桂冠)に入社した。創業家の13代目として78年に社長に就いたが、このころが国内の日本酒の消費量がピークだった。
80年代には焼酎やワインに押されて、若者らの間で日本酒離れが加速した。75年に170万キロリットルほどあった消費量は85年には2割ほど落ち込み、その後も減少が続いた。
大倉氏は「消費者のニーズが多様化している」として、70年代後半には高級志向の吟醸酒を発売。80年代には低価格の紙パックも売り出して、客層を広げてきた。
84年には業界で初めて常温で流通できる「生酒」も出した。生酒を冷やして柔らかい味わいを楽しむことをアピールし、若者らへの浸透をはかった。
87年には社名を月桂冠に変更…
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