山野駅跡で魚の行商などについて語る税所秀孝さん=9月26日、鹿児島県伊佐市、岡田将平撮影
行商で。漁で。不知火(しらぬい)海の魚は、熊本や鹿児島の山間部の集落、沿岸の島々へ届いた。民間医師団の水俣病検診記録の分析では、行政が救済策の対象に枠をはめた内外で症状の現れ方に大きな差がなかった。「症状で判断を」「海はつながっている」。今も被害を訴える人々がいる。
水俣病、救済地域外でも似た症状 1万人検診記録を分析
山あいの農村地帯の公園に「やまの」と書かれた看板や線路の一部が残る。鹿児島県伊佐市(旧山野町など)の山野駅跡だ。1988年に山野線が廃止されるまで、約20キロ離れた熊本県水俣市と結ばれていた。
伊佐市に住む税所(さいしょ)秀孝さん(78)は高校時代を鮮明に思い出す。毎朝8時ごろ、山野駅から水俣と逆方面の汽車に乗ると、てんびん棒や籠で魚を運ぶ行商人が大勢、車内にいた。雨の日はひときわ生臭い。行商人は沿線で物々交換をし、夕方には空いた籠に米などを入れて水俣方面行きの列車に乗った。税所さんの家は、なじみの3人の行商の女性から魚を買っていた。
地元の金鉱山で働いたが、30歳ごろから手足のこむら返りが起き、50歳を超えて悪化。しびれもあって溶接やボルト締めがうまくできなくなった。こたつの熱に気づかず低温やけどもした。病院で受診しても原因はわからなかった。
新聞や自宅に投函(とうかん)された患者団体のチラシで、水俣病被害者への政府の救済策を見て、自分もそうかもしれないと初めて疑った。ただ、自分が「不治の病」の水俣病と認められたくないとの思いもあり、ためらった末に申請期限間際の2012年7月に申請した。だが伊佐市は救済の対象地域外。魚を日常的に食べたと証明できず、症状があるかどうかの検診すら受けられなかった。「魚の領収証なんか、残っていない」
水俣病じゃないと確認したい。その一心で14年に医師団の検診を受けると「水俣病の症状がある」と告げられた。「ショックだった」。積年の苦しみに怒りも湧き、15年1月、国と熊本県、原因企業チッソに損害賠償を求める訴訟の原告になった。裁判で体がよくなるわけではないが、せめて医療費給付をと願う。
「魚の流通ルートを調べればわかるはずなのに……。症状を見て判断してほしい」
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