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「女子力」って何だ 宴会でサラダ取り分け上手な人?

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2017-1-22 8:07:00  点击:  切换到繁體中文

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「女子力」という言葉にどんなイメージを抱きますか?


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「女子力」って? そう問いかけた朝日新聞デジタルのアンケートに、1100を超える声が集まっています。こまめにお酌、さっと差し出すばんそうこう。「女子力高い」とされる振る舞いや、女性にばかり多くを期待されることへの「もやもや」。寄せられた声と、米国出身の女性がなぜこの言葉を卒業論文で取り上げ、何を感じたのかを紹介します。


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「女子力」はどんな場面で使われているのでしょう。朝日新聞デジタルのアンケートから。


●「公立中学校の担任から、ことあるごとに『女子力が低い』と指摘・指導される。古くからある性差別を流行に乗って言い換えただけの、非常に不愉快な言葉である。私学の女子校ならいざ知らず、今の時代に『女性だからこうあるべき』という指導をするのは控えて欲しいと思う。教師の言葉の示す中身が、主に『家事が得意』『気配りができる』であることに憤りを覚える。女性だけに求められる能力ではない。私の家庭では父親が仕事をしながら家事一切を引き受けている。母はいわゆる「女子力」の非常に高い人だが、病気で家事はまったくしない。性役割を固定させようという言葉が流行するのは、時代に逆行していると思う」(大阪府・10代女性)


●「料理をしてSNSに写真を載せた際に、フォロワーの女友達から『女子力アピールウザい』という旨のリプライをもらった。居酒屋で料理がきた際に、『ほら、女子力発揮して』と取り分けを要求された。世間で言われている女子力とは、その内容は女子にのみ求められるものではないはず。料理などはその典型で、そして取り分けの役割も自分ができると思えば男子がやっても問題ないのでは。女子ができていないと何かがっかり、女子にやってもらった方が気分が良い、そんなのは受け手側の勝手な都合だと思う。そういった概念がいわゆる女子力がない女性をじわじわと追い詰め、女子力を見せる女子を攻撃させてしまう原因の一つかと」(岩手県・20代女性)


●「私は男だが、日常生活で料理や掃除をしている。それを人に言うと、『女子力ありますね』とよく言われる。男女平等が言われている中で、『料理や掃除などの家事=女子がすること』という世間のイメージに異議を唱えたい。今後、料理などの家事を得意とすることを『女子力』ではなく、『家事力』と呼ぶべきだ」(東京都・30代男性)


●「クリスマスや誕生日など、女子の間でのイベントでちょっと凝った演出をすると『女子力高い!』と言われる。単純にうれしい。同性を上手にほめる言葉、というのがあんまりなかったからかな」(海外・40代女性)


●「気をまわして飲み会でも真っ先にサラダなどを取り分けたり、飲み物を注文したりすることを促したりしている女性同僚がいるが、その行為を他の後輩にも『強要』して後輩が困ることを見たりしていると、過度な女子力を発揮するのも、期待するのもどうかな、と思う。取り分けてもらえること自体はありがたいけれど」(山形県・20代男性)


●「いつからか飲み会でのサラダを取り分けると、女子力が高いといわれるようになった。しかし、最近の飲み会では男女ともにこの言葉が面倒になってきたように感じる。サラダが出てきても誰かが、『じゃ、セルフで!』と言うことが増えた。女子力はなぜはやり、『男子力』は聞かないのか。日本には、『女性は気配り、料理などの家事ができたほうがいい女といえる』という固定観念があった。しかし、やっとそこから抜け出し、『家事・料理は男性もできたほうが良い』の風潮になってきたところに、雑誌かマスコミが『女子力』をはやし立てた。これにより、また新たな固定観念が生まれた。世の中は、女性に呪縛をかけるのが好きなのだろうか」(埼玉県・20代その他)


●「男ですが、女性の集団の中で『女子力高い』とよく言われます。周囲への気配りがよくできることをたたえてのことのようです。結局のところ、『そういう役割は女性のもの』という日本特有のステレオタイプに縛られた言葉なのかなと思いました。属する集団が変わればその人の役割は変わるのだし、わざわざ性別で決めつける必要は全くありません。育児における『イクメン』という言葉もそうですが、男女に縛った言葉が使われているうちは、本当の意味での『男女平等』は達成できないような気がします」(千葉県・20代男性)


■ゴールのない、しんどさがある


「女子力」をテーマにした卒業論文が昨年、米ハーバード大で野間・ライシャワー賞などを受賞、現在は日本で会社員として働くキャシー・トランさん(23)に聞きました。



米国育ちですが、子どもの頃からアニメなど日本文化が大好き。留学もしました。2013年12月、日本人の男友達数人と食事をした店で、テレビから「女子力」という言葉が何度も聞こえてきました。


「女子力って何?」。尋ねても誰も答えられず、携帯電話の辞書を引くと「girl power」と出てきた。「自立した女性」をイメージしますが、テレビに映る女性たちの様子はどうも違う。ふと友人のグラスが空になっているのに気づき、水を注ぐと「それが女子力だよ!」。混乱しました。「女子力」という言葉が持つ意味、広まった背景を知りたくて、論文のテーマに選びました。


若い男女200人に「女子力が高い女子とはどんな人か」を尋ねたり、「女子力アップ」を掲げる雑誌の特集を検証したり。インタビューした女性の半数は、「女子力」という言葉があまり好きではないと答えました。見えてきたのは、「女子力」にはゴールがなく、女性たちは「限界のない高みを目指す」ことを強いられているということ。「ある」か「ない」かで語られる「○○力」が多い中で、女子力は「高い」か「低い」かという程度を問われてしまう。だから、きりがなく、しんどいのです。


米国には「女子力」に相応する言葉も考え方もありません。「女性だから」より「自分だから」と個性を重視する。日本の女性たちは「女性はこうあるべきだ」という考えに縛られて、「これが私」「私はこうありたい」という気持ちを抑えてしまっていると感じます。


一方で日本の女性たちにシンパシーを感じる部分もある。難民として米国に渡ったベトナム人の両親から私も「女の子は勉強よりお手伝いをしなさい」と言われて育ちました。その言葉にのみ込まれずにすんだのは、学校の先生が性別など問題にせず「キャシーならできるよ」と挑戦を後押しし続けてくれたからです。


言葉が持つ意味は、時代と共に変わっていく。「女子力」も、「飲み会でサラダを取り分ける」といった表面的なものから、「自分らしく生きる力」という意味合いに変わっていったらいいなと思っています。(聞き手・三島あずさ)


■言葉の多面性から探る「いま」


「宴会でのサラダ取り分け」から「自立した女性像」まで。ほめ言葉であり、けなし言葉にもなり、存在自体への批判もあります。いつの間にか、この言葉がいろんなイメージをまとっていることに驚かされます。その歩みは、私たちの社会のいまを、映し出しているのでしょうか。映し出しているとすれば、どんな姿なのでしょうか。「女子力」へのみなさんの考えをたよりに、たどっていこうと思います。(錦光山雅子)





 

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