日本語の授業風景=クラクフの日本美術技術博物館「マンガ」、高野弦撮影
昨年10月に亡くなったポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督は、日本文化への深い理解で知られた。生前、古都クラクフに残した施設はいま、同国最大規模の日本語学校となり、両国の懸け橋となる人々を送り出している。
平日の午後、ビスワ川のほとりにある3階建ての校舎で、日本語の授業が始まった。「『馬』を書く時は、点の向きに注意してくださいね」。教師歴20年のヨアンナ・ボスルカさん(43)の声が響く。
生徒の女子大学生カロリーナ・ミレックさん(19)は将来、日本語の通訳として働くのが夢だ。「(人気漫画)NARUTOを生んだ国に行ってみたい」
ワイダ監督が資金の一部を出して、日本美術技術博物館「マンガ」を設立したのは1994年。建設費は、ワイダ氏が「灰とダイヤモンド」など、映画の制作にあたって描いた「絵コンテ」と引き換えにして、日本で寄付を集めた。
ポーランドの日本美術愛好家フェリクス・ヤシェンスキが1900年前後に収集した浮世絵など約7千点を展示する。「マンガ」は、葛飾北斎の代表作の一つ「北斎漫画」にちなむヤシェンスキのペンネーム。直後に日本語コースが開設され、校舎も建てられた。
「当初は、何人が来るのか不安だった」(ボグナ・ジェフチャールック・マイ館長)という博物館には、いま年間10万人が訪れる。5~6人の生徒しか集まらなかった日本語コースには、現在は100人ほどが籍を置く。
トマシュ・ミクラシェフスキさん(37)は大学生だった98年から2年間、ここで学んだ。共産政権時代、上映が許されていた数少ない西側の映画が「侍映画」。日本文化に憧れ、博物館に浮世絵を見に来て、学校の存在を知った。
大学卒業後、政府に就職し、2…