伊熊直人さん=長野県ホームページから
人命救助を志した隊員9人が命を落とした長野県防災ヘリコプターの墜落事故。遺族や友人は受け止め切れない悲しみにくれた。
墜落ヘリ機内の6人、死亡を確認 搭乗9人全員が死亡
伊熊直人さん(35)は妻子を長野市に残し、長野市消防局から松本市へ単身赴任していた。同局の込山忠憲次長は「非常にショック。まだ若く、これから活躍してもらう人物だった。家庭でも大切な存在なのに」。
「死ぬ順番が違うだろう」。17年前、消防学校の教官として伊熊さんを指導した同局の丸山徹さん(53)はうつむいた。「救助隊を希望します」。伊熊さんは学校生活を終える前、まっすぐな目で目標を語った。勉強やトレーニングに励み、「消防の花形」の県消防防災航空センターに。
今年1月に白馬乗鞍岳で発生した山岳遭難で救助活動にあたり、悪天候で救助に3日かかったが、遭難した神戸市の60代の男性を救った。「活躍は耳に入ってきた。経験を若手に伝えて欲しかった。無念です」。丸山さんは黙り込んだ。
高嶋典俊さん(37)の自宅の庭では6日、幼い子どもたちがサッカーをしながら元気な声を響かせていた。高嶋さんの妻(35)は「いつも通り出て行きました。今は何も考えられません。少しでも整理できたら」と目をうるませた。「本人はなりたかった航空隊。任務を遂行したんだと思います。ずっと希望を出していました。消防という仕事がすごい好きで。天職だったんじゃないかな」。夫の写真を見つめ「かっこいいでしょ。超かっこいいんだよなあ」と言葉を絞り出した。
同年代の子をもつ近所の人たちは「うちの子も遊んでもらった。気さくな方でした」と口々に話した。
高嶋さんと、小口浩さん(42)を派遣した松本広域消防局の幹部は「ともに信望があり、信頼の厚い隊員。自ら志願し航空隊員となり、県全体のために頑張ってきた。非常に残念」と悔やんだ。青森県防災航空隊員の八戸寿士さん(29)は約2年前、講習で小口さんと知り合い、航空隊員同士で意気投合。仕事だけでなく、子どもの話も語り合った。事故を聞き「残念です」と悲しんだ。
甲田道昭さん(40)の妻も自宅で「気持ちの整理がつかない。まだ受け入れることが」と言葉を詰まらせた。
隊に派遣した上田地域広域連合消防本部の松井正史消防次長(58)は「どんな困難な現場でも救助を任せられる貴重な人材だった」と声を震わせた。救助隊で長年、活動を共にし、自身も同航空センターで救助隊員を務めた。「明朗活発で後輩の指導もよくできる、特に優れた隊員だった」。救助の技術に優れ、関東地区の大会にも県代表として出たという。
「仲間思いで、家族思いで」。3日には同本部の退職職員の送別会にも駆けつけた。4月に同本部に戻るはずだった。別の職員は「あと1カ月だね、というような話もしていた。よもや」と惜しんだ。
整備士の清水亮太さん(45)の上司は「子育てに力を入れていた」と話す。隣人の建築業山岸和明さん(69)は「家族のように悲しい」と目を伏せた。清水さんは、自分の小学生の子どもと山岸さんの孫を連れて通学に付き添ってくれた。雪が降った時、公園に雪の坂をつくり、孫とソリで遊んでくれたという。
隊でリーダー格だった瀧沢忠宏さん(47)。派遣元の長野市消防局で上司の男性職員(53)は、瀧沢さんが高校生の頃からの付き合い。母校野球部の後輩にあたり、控え選手でも懸命にボールを追い、弱音を吐かなかった。「高校の頃から変わらない」と目頭をおさえた。
大工原正治さん(42)は4月に佐久広域連合消防本部に戻る予定だった。本部の職員は「一緒に働き、救助の技術、能力、知識が卓越していた。チームワークが大切な消防の現場でコミュニケーション能力にも優れた職員として送り出した」と振り返った。
別の職員も「リーダーシップがあり、後輩思いの隊員だった。とにかくまじめで、精いっぱい仕事をこなしていた」と話した。
伊藤渉さん(35)を隊に派遣した北アルプス広域消防本部は「『人の命を救う。助けたい』という意識が高く、特に仕事熱心だった」と、死を悼んだ。
パイロットの岩田正滋さん(56)は、県消防防災航空隊が発足し、防災ヘリ「アルプス」が導入された1997年から同隊に所属。飛行経験が豊富な人材が全国的に不足するなか、ベテラン機長として隊を支えてきた。
年間300時間程度飛行し、実際の救助は100時間。訓練に150時間を費やしたという。飛行時間は5100時間。3千メートル級の山岳救助も多く、八ケ岳連峰で今年2月に早稲田大学の学生4人の登山パーティーが遭難した事故でも操縦した。
東京都出身で、もとは警視庁航空隊に所属。県の広報によると「アルプスの山々に魅(み)せられ」、長野県のパイロットになった。「山岳での救助活動を消防隊員とともに、日々訓練しています。皆さんが安心して過ごせるようわれわれが待機しています」と紹介されている。
県警松本署を訪れた岩田さんの父は「パイロットの父です。(息子は)こちらを生きがいにして勤務していた」とだけ語った。