災害派遣での陸自西部方面音楽隊による演奏の様子=昨年5月14日、熊本県益城町(陸自西部方面総監部広報室提供)
熊本地震から間もない頃、被災地で生演奏の音楽が流れた。楽器を取ったのは自衛隊の音楽隊。自らも被災し、同じ被災者の心を支えようと避難先を巡った隊員もいる。熊本市で11日にある演奏会で復興の願いをメロディーに乗せる。
シートで覆われた修復中の建物やプレハブの仮庁舎。7日、地震の傷痕が残る陸上自衛隊健軍駐屯地(熊本市東区)を訪れると、軽快な音色が聞こえてきた。熊本県立劇場(同市中央区)で11日にある西部方面音楽まつりに向け、西部方面音楽隊がマーチの演奏や隊形を確認する仕上げの練習をしていた。
被災と無縁でない聴衆もいるとみられ、復興を願う楽曲も奏でる予定だ。金管の花形、トランペットを担当する陸曹長の木下繁樹さん(50)は「前向きな気持ちになれるようなメッセージを演奏に乗せたい」と話す。サックスを吹く陸曹長の本田有二さん(55)は「被災者の方々に勇気がわいてくるようにがんばります」。2人とも地震で被災した。
最初の揺れが襲った昨年4月14日夜。木下さんは震度7を観測した同県益城町の自宅にいた。家全体が持ち上がるような衝撃の後、電灯が消え暗闇に包まれた。倒れた家財や割れた食器で身動きが取れない中、声を張り上げると家族の返事があった。大災害の予感。「行くとやろ」と聞く家族に「うん」と答えた。身支度をして向かったのは駐屯地。任務に備えるため地震発生の15分後には着いた。同県西原村の自宅にいた本田さんも、妻を1人残して出勤した。
音楽隊は普段、隊員の士気高揚や部隊の式典に必要な演奏、広報活動でのコンサートなどを任務にしている。2回目の震度7に見舞われた4月16日未明の本震の後、多くの自衛隊員が人命救助や被災者の生活支援にあたる中、音楽隊は駐屯地に待機してしばらく後方支援に回った。そして4月下旬、再び楽器を手に取った。災害派遣の一環で演奏するためだ。「被災者の心を和らげたいと思いました」と本田さん。情報収集から始めた。
隊員たちが避難所を一つひとつ訪ねると、演奏を求める声が思いのほか多かった。復旧作業を妨げないよう、ミニコンサートを念頭に3~5人のグループを幾つも編成した。まず演奏場所に選んだのは、被災者の入浴のため自衛隊が約20カ所に設けた野外の風呂場。利用者の集まる夕暮れ時、親しみやすい歌謡曲や民謡、アニメソングなど生のBGMを奏でた。西部方面音楽隊のほか、九州の陸自師団や空自の音楽隊も分担して演奏に出向いた。
約500人が集まった益城町の小学校。木下さんらは、心に寄り添い、勇気や力になるようなナンバーをリクエスト曲も交えて届けた。スタジオジブリの映画音楽メドレーや賛美歌「アメージング・グレース」、「明日があるさ」「365日の紙飛行機」――。穏やかな表情で聴き入る人々の中に近所のよく知る顔もあった。「演奏で励ますつもりが逆に励まされた気持ちでした」(木下さん)。本田さんは準備に奔走した。
余震が続く中、2人の家族は損壊した家を出て車中で寝泊まりする避難生活を送っていた。ほとんど構うことができない2人に、家族は愚痴を漏らさなかったという。本田さんの長男と長女は遠方から交代で里帰りして留守を支えた。
「家族が心配じゃないと言えばうそになる。でも大事の時に動くのが自衛官。その気持ちは変わりません」と木下さんは言う。「お父さん大丈夫?」「大変だろうけど自衛隊の仕事がんばってね」。地震の直後に東京に住む次女から届いた無料通信アプリLINEのメッセージを、胸の内に大切にしまった。
熊本地震の災害派遣では、5月末までに西部方面音楽隊と第8音楽隊(熊本市北区)だけでも39回の演奏をした。(田中久稔)