選手に声をかける多治見の高木裕一監督=20日、阪神甲子園球場、上田博志撮影
(20日、選抜高校野球 報徳学園21―0多治見)
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20日の報徳学園(兵庫)戦で大敗した多治見(岐阜)。高木裕一監督(54)は「脱帽です」と苦笑いした。選手の時に諦めた夢を再び追って指導者不在の部を再建し、自身初の甲子園にたどり着いた。試合後、「やっぱり甲子園はすごい」と感慨深げだった。
1978年に岐阜県土岐市から東海大相模(神奈川)に進み、レギュラーをつかんだが、3年の夏、野球部の不祥事で神奈川大会途中で辞退。「悲しいを通り越し、何でなんだという気持ちだった」。大学2年まで野球を続け、多治見市役所に就職したが、高校野球を見なくなった。
98年6月に監督就任を依頼された。監督不在で廃部寸前のところを、OBが高木監督の経歴を聞きつけた。だが、当時の野球部はノックを待つ間にあぐらをかく部員がいるなど、練習に身が入っていなかった。球の握り方を知らない部員もいた。
「どうせやるなら勝たないと楽しくないぞ」。初めは「2カ月間だけ」のつもりだったが、自分自身が「やっぱり野球が好きだ」と気づき、打撃や投球を身ぶり手ぶりで教えた。
今の部員たちを「おとなしいが、スポンジのよう。教えたことをしっかり吸収する」と評する。この日、公式戦初先発の右翼手・森翔太君(2年)と左翼手・三戸悠平君(同)が安打を放った。森君は「振り遅れることが多く、監督から『打つポイントを前に』と言われ、結果が出た」と喜んだ。
4万2千人の大歓声にのまれ、選手たちは「いつも通りじゃなかった」(高木監督)。硬くなって5失策、21失点。散発3安打に抑えられた。それでも高木監督は「選手のおかげでここまで来られた」と選手をねぎらった。(室田賢)