米国が大戦後から1950年代にかけて核実験を繰り返した太平洋・マーシャル諸島で、被曝(ひばく)島民の子孫たちが体験の継承に動き出した。原発事故に見舞われた福島への訪問もきっかけとなり、被害の記憶を後世に伝えようとしている。3月に記者が現地を訪ねた。
核といのちを考える
太平洋のマーシャル諸島は約30の島や環礁からなり、人口は約5万3千人。政府は、63年前にビキニ環礁で大規模な水爆実験が行われ、静岡の漁船「第五福竜丸」も被曝した3月1日を「核被害者追悼記念日」と定め、毎年式典を開いている。
「核兵器はもういらない」「被害者の補償を続けるべきだ」
今月1日。晴天が広がった首都マジュロの大通りに、被曝島民ら数百人の声が響いた。式典に合わせた恒例のパレードには、核被害の継承活動に取り組むNGO「リーチ・ミー」のメンバー約20人も横断幕を持って加わった。
NGOの代表は弁護士のロザニア・ベネットさん(46)。父は70代半ばで2006年に食道がんで死去した。ビキニの東にあるアイルック環礁で被曝していたが、亡くなるまでその事実を娘に詳しく語ることはなかった。
転機は15年。父と同じアイルックで被曝した、おじのテンポー・アルフレッドさんが「語り部」として日本の研究者に招かれ、福島を訪問。ベネットさんが付き添った。
「空が光に覆われ、戦争が始ま…