開封されないまま工場跡に残っていたり、岐阜県養老町が保管したりしていた養老サイダー。時代によってビンの形やラベルが違う=同町の養老公園
今の岐阜県養老町で1900年に発売され、2000年に姿を消した「養老サイダー」を復刻させる動きが進んでいる。観光名所の養老の滝は元号「養老」の由来とされ、今年は改元から1300年の節目の年。町観光協会が中心になり、この夏ごろまでに試作品を完成させたい考えだ。
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養老サイダーは、名水百選でもある養老公園(同町)の「菊水泉」と同じ水源の水を使っていた。今の同県大垣市で1890年に創業した「開屋(ひらきや)」が、名水を求めて工場を同町に移転した1900年に発売を始めた。
1902年には本社も町内に移転し、64年には社名を「養老サイダー」に改めた。「炭酸が強くすっきりした味」と地元を中心に親しまれ、町観光協会によると、品評会で高く評価されるなどして全国的に知名度が高まった1910年ごろには「東の三ツ矢、西の養老」と言われたという。だが、4代目の日比野泰敏さんが亡くなった半年後の2000年12月に製造を中止した。会社自体も14年に廃業した。
昨年10月、中日本高速道路が、インターネットで運営資金を集めるクラウドファンディングを使って復刻させるアイデアを町に提案した。改元1300年のほか、東海環状自動車道養老インターの供用開始も17年度中に見込まれており、町観光協会の中村一会長(65)は「今回はきっかけをもらった。養老公園に来ないと飲めないといったプレミアム感も出していきたい」と意気込む。
泰敏さんの妻文子さん(74)…