解体される前の鵜住居地区防災センター=2011年9月、岩手県釜石市
東日本大震災で、岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)町にあった鵜住居地区防災センターに避難して亡くなった犠牲者の2組の遺族が、市に計約1億8千万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、盛岡地裁で言い渡される。同センターは、津波の避難場所と思い込んだ付近の住民が大勢逃げ込み、200人以上が亡くなったとされる。正式な避難場所の周知義務が自治体にどの程度まであったのかが主な争点になっている。
同センターは2階建てで、2011年3月11日午後3時18分ごろに津波にのまれた。市は地区の避難場所に、センターより高台(標高14メートル以上)にある寺の裏山と神社境内を指定していた。だが、市が設置した調査委員会の報告書によると、センターが完成した10年2月以降、市は避難訓練の際、参加者を増やしたいという地元自主防災会の意向を受け、訓練に限った避難場所としてセンターの使用を許可していた。
訴えているのは、同センター隣の市立幼稚園の臨時職員だった女性(当時31)と、センター近くに住んでいた女性(同71)の遺族。2人とも震災時に同僚や家族らとともに同センターに避難し、津波にのまれて死亡した。
遺族側は、市主催の避難訓練でセンターの利用を市が認めていたことや、実際の地震発生時に多くの住民が避難したことなどをふまえ、「市は避難場所ではないと周知する義務を負っていたにもかかわらず、住民の誤解を解く努力を怠っていた」などと主張している。
一緒にセンターに避難して母親を亡くした原告の40代男性は、昨年11月の証人尋問で「建物の名前からも、地震の時はセンターに避難するものと思っていた。市が適切な避難訓練をしていればこういうことはなかったかもしれない」と述べた。
市側は「広報などで正しい避難場所を周知しており、住民に誤解を与えていない」「(避難訓練での使用許可は)地域住民の避難意識を高めるという自主防災会の要請に応じたやむを得ない措置だ」などと反論。「避難場所ではないとまで周知することは、自治体に過度の負担を強いるもので、市の義務ではない」としている。
東日本大震災の津波被害をめぐっては、児童と教職員が犠牲になった宮城県の石巻市立大川小学校(仙台高裁で係争中)や、園児が犠牲になった同市の私立日和(ひより)幼稚園(同高裁で和解が成立)、教習生らが犠牲になった同県山元町の常磐山元自動車学校(同高裁で和解が成立)、行員らが犠牲になった同県女川町の七十七銀行女川支店(最高裁で遺族の敗訴が確定)などについて争われてきた。(渡辺朔)