昔の辺野古について語る島袋エイさん=沖縄県名護市辺野古、矢島大輔撮影
あの頃の海を、見せてあげたい――。米軍普天間飛行場の移設先として、埋め立て工事が始まった沖縄県名護市辺野古の海に、特別な思いを寄せる91歳の女性がいる。「原風景」を肌で知る最後の一人とも言われ、豊かな海の記憶は今も色あせない。
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海を望む丘の上の辺野古集落。島袋エイさん(91)は自宅のソファに座り、白内障を患う目で、移設工事を伝える新聞記事を毎日読む。「最近のことはすぐ忘れちゃうのに、あの頃の海はさぁ、よぉく覚えてるんだ」
海辺のかやぶき民家で生まれ育った。父が漁に出かけ、母は浜辺で畑仕事をする。赤ん坊だったエイさんはアダンの葉陰で寝かせられていた。
物心ついてから親に聞かされた話がある。
ある日、母が授乳に向かうと、エイさんの体が熱い。意識を失い、呼吸が聞き取れない。急いで海に流れ込む清流に浸すと、とたんに息を吹き返した――。「海は命の恩人さぁね。波の音は子守歌だったんだよぉ」と、エイさんは言う。
浜に生えていた松の木に登って遊んでいた7歳のころ、滑らかな曲線をした「子豚みたいな」生き物が海面を横切った。地元で「ジャン」と呼ばれ、現在は絶滅が危ぶまれるジュゴンだと父に教えられた。干潮時は裸足で浅瀬を歩き、砂浜に潜むヒラメに足を滑らせた。天然の真珠貝が、ずらりと並んでいたこともあった。
漁師の夫、久一さんと結婚した…