「先生の過労問題を知ってください」。通行人にビラを配って呼びかける工藤祥子さん=昨年12月、東京・霞が関
昨年12月のよく晴れた朝、東京都町田市の工藤祥子さん(50)は10年前に亡くなった夫、義男さんの墓を訪れた。墓石には「闘魂」の二文字。横浜市の中学校の保健体育教諭だった義男さんは「燃える闘魂」が口癖の熱血先生だった。
墓に手を合わせてつぶやいた。「あなたの闘魂を受け継いで、過労死ゼロのために闘います」。祥子さんは今月、「神奈川過労死等を考える家族の会」を立ち上げ、代表に就く。
「疲れた。頭が痛い」。
2007年6月、修学旅行の引率を終えた義男さんは帰宅後、すぐに布団に倒れこんだ。広島と京都をめぐる2泊3日の旅程。ホテルでは明け方近くまで生徒の部屋を見回った。
数日後、病院の待合室でくも膜下出血で倒れた。当時40歳。祥子さんと小中学生の娘2人が残された。
高校では柔道、大学ではアメリカンフットボールの選手だった。けんかなどのトラブルが絶えない教育現場で、生徒思いで頑強な義男さんは頼れる存在だった。生徒指導や学年主任、サッカー部の顧問など多くのポストを兼務した。当時の手帳が残っている。〈部の雰囲気にやる気が感じられない。でもここからが勝負。負けるな義男〉〈弱気になるな!生徒にこびるな!常に闘魂〉
朝7時台に始まる部活の朝練を…