公開された梶山静六元官房長官の書簡。3枚つづりの1枚目(沖縄県公文書館提供)
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設をめぐり、橋本内閣の官房長官として沖縄との交渉を担った故・梶山静六氏の書簡が31日、沖縄県公文書館(南風原(はえばる)町)で公開された。本土での反対運動を理由に、名護市への移設以外にないと記しており、政治的な理由で県内移設を進めた政府の姿勢が浮かび上がる。
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書簡は、1996年1月~97年9月に官房長官を務めた梶山氏から、橋本内閣と大田昌秀知事との「パイプ役」を務めた故・下河辺淳(しもこうべあつし)元国土庁次官に宛てたもので、「衆議院議員 梶山静六用箋(ようせん)」と印字された便箋(びんせん)3枚。
梶山氏は、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブへの移設計画について「シュワブ沖以外に候ホ地を求めることは必ず本土の反対勢力が組織的に住民投票運動を起(おこ)す事が予想されます」と指摘。「比嘉前市長の決断で市として受け入れを表明し、岸本現市長が『受け入れ』のまま市の態度を凍結するとしている名護市に基地を求め続けるよりほかは無い」と記している。
また「北部新空港の機能を永続…