球団ワーストの12連敗を喫した夜、声援を送る巨人ファン=7日夜、埼玉県所沢市のメットライフドーム、山本裕之撮影
チーム低迷の責任を取り、シーズン途中で退任した巨人の堤辰佳ゼネラルマネジャー(GM)は13日、「チームはいま危機的状況に陥っている。ファンの期待を裏切ったのは私の力不足のせい」などとコメントを発表した。
巨人、新GMにOBの鹿取氏 堤GMは引責退任
堤氏は2015年5月、読売新聞東京本社運動部長から巨人のGMに就任。まず、目を向けたのは若手の育成だった。3軍制を導入し、20歳前後の選手を育成ドラフトで獲得。独立リーグや社会人チームと試合をしながら経験を積ませた。「将来を考えてチーム全体のレベルアップを図りたい」との思いからだった。
熊本県出身。熊本・済々黌高から一浪して慶大に進み、野球部の主将を務めた。1989年に読売新聞社に入社すると、記者として社会部の警視庁担当などを歴任。巨人では広報部長やGM補佐などを経て、GMに就いた。
「肥後もっこす」の言葉通り、頑固な一面もある一方で、情に厚い人柄だ。選手や首脳陣との対話を大切にし、試合後は選手がベンチ裏に引き上がるまで見届ける。他球団とのトレードが決まれば、チームを離れる選手に涙を流しながら告げたこともあった。
新人選手の発掘のため、試合前に地方球場に足を運び、外国人探しでは米国だけでなく、キューバやプエルトリコにも向かった。警視庁担当で培った「現場主義」を球界でも貫いた。「俺も戦う体力をつけないといけない」と2月のキャンプ中はプールに通って体を絞り、大好きな酒も控えた。3カ月で体重は10キロ減り、足取りは軽快だった。
巨人では清武英利氏、原沢敦氏に次いで3人目の元新聞記者によるGM。堤氏はプロ野球のユニホーム経験こそなかったが球団職員としての経験は豊富で、強い信念を持って挑んだものの、結果は伴わなかった。
この日の発表では、「退任」の理由について、石井一夫・新球団社長が「堤君は非常に固い決意だった」と強調した。しかし、普段の堤氏の言動からすると、途中で投げ出すタイプとは思えない。事実上の解任となった堤氏に、阿部や長野ら選手からは「残念だし、申し訳ない」との声が上がった。(山口裕起)