1960年スコーバレー冬季五輪で、レースに挑む長久保初枝さん(本人提供)
妊娠を隠して五輪に出場したスピードスケート選手がいた。東京都武蔵野市の長久保(旧姓高見沢)初枝さん(81)。「今思えば、妊娠してよく滑れたなと。(来年2月の)平昌(ピョンチャン)五輪を目指す選手たちには自分の記録と戦い続けて欲しい」とエールを送る。
「妊娠しています」。そう告げられたのは、1964年オーストリア・インスブルック五輪に向けて出国する直前。生理が遅れて診察を受けた時だった。初枝さんは、夫で同じ競技者の文雄さん(80)とともに所属していた三協精機(現日本電産サンキョー)に代表辞退を申し出たが、代わりの選手はいないと受け入れられなかった。2人は妊娠の事実を隠したまま、夫婦で出場することにした。
大会中は「流産しにくいから」とホルモン剤を飲んだ。女子1000メートルのレース中に転倒して出血し、「もうダメだ」とも思ったという。それでも、最終4種目目の3000メートルで6位入賞を果たした。「何とか代表の責任は果たせた。すべてが終わった」。リンク脇から見守っていた夫と抱き合い、涙した。
五輪から8カ月後、長女を出産した。助産師に「大きく生まれてきたよ。大丈夫」と告げられた時と、約3200グラムの娘を抱きかかえた時の喜びは、今も忘れられないという。
初枝さんは長野県出身。高校生…