高校通算100号本塁打の記念ボールを手にする早稲田実の清宮幸太郎選手=6月4日、愛知県小牧市の小牧市民球場
99回目を迎えた夏の全国高校野球選手権。東・西東京大会は早稲田実業高等部の野球部主将、清宮幸太郎選手(18)の選手宣誓で幕を開けた。
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「宣誓 私たちは野球を愛しています」
高校進学前から注目され、行く先々で観客を集め、その中で本塁打を打ち続けてきた。今夏も2戦連発で高校通算は105本。選手宣誓をすれば心憎い内容を考え、よどみなく、ハキハキと唱える。
新時代のスマートな強打者は、どうやって生まれたのか。原点を探ろうと、東京都杉並区へ向かった。
早稲田大学上井草グラウンド。ラグビー部の練習場として、2002年に完成した。当時の監督は清宮克幸さん(50)。幸太郎選手の父だ。翌03年にはこの施設を使った地域密着型のスポーツクラブ「ワセダクラブ」が発足。そのラグビースクールに、幼き日の幸太郎少年も通った。
6月中旬の日曜日、300人を超える子どもたちが楕円(だえん)球を追いかけていた。「幸太郎が初めて来たのは幼稚園児のとき」とスタッフが教えてくれた。ラグビーボールを蹴らせたら、小学生より遠くへ飛ばして周囲を驚かせた。
軟式野球と並行し、小学4年まで通った。「バカでかくて、足が速くて、1学年上のチームに入れても、幸太郎の独壇場になっていた」と後藤禎和理事(50)は懐かしむ。克幸さんの同期で、自身も早大の監督を務めた人だ。「だけど、やんちゃ盛りだから、思うようにいかず、かんしゃくを起こすこともあった」
後藤さんはクラブの目的を「人間育成」と説明する。
どんな人間を育てたいか。
「絶対にあきらめない心と人を思いやる気持ちを、ラグビーを通じて育みたい」
早稲田実は逆転勝利や接戦をものにする試合が多い。主将としてその先頭に立つ清宮選手の闘争心は、早くから培われていたのかもしれない。
小4の冬から硬式野球の北砂リトルに入団し、野球に打ち込んでいく。ここでも規格外の活躍だった。「すでに身長165センチ。6年生と思ったんだ。初日の練習から、でっかい柵越えを打ったね」。監督だった久保洋一さん(76)は笑う。中1の夏には世界選手権で投打に活躍し、優勝に貢献したのは有名な話だ。
久保さんが何より感心するのは、その人間性だという。「監督以上の目配り、気配りのできる子でね。おれが他の選手を怒ると、幸太郎が必ずフォローしていた」。バーベキューをすれば、「父の教え」と鶏肉ばかり食べる。お弁当にはフルーツがいっぱい。「両親も立派だが、本人も意識の高い子だった」
ペナントの寄せ書きには、1人だけ達筆で、プロのようなサインをした。中3のとき、後輩がサインボールを欲しがると、「チームを助ける一打!」などと、その選手に合ったコメントを添える。
「幸太郎は当時から今までずっと特別な選手だろ。どこまでいっちゃうのかね」
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その時代、その地域に育まれた怪物選手たちが、高校野球の歴史を彩ってきた。次は「昭和の怪物」。静岡・天竜川のほとりで大きくなった。(編集委員・安藤嘉浩)