ハツキネの田んぼの前で思いを語る佐藤善男さん=5月末、仙台市若林区、影山遼撮影
半世紀以上前に開発されたが、市場にほとんど出回っていない珍しいもち米を作る農家が仙台市にいる。一度は東日本大震災の津波で種もみを全て失ったが、周囲の協力で遠く福井県の試験場からのおすそ分けがかなって復活。今年も順調に育っている。
そのもち米は「ハツキネ」という。仙台市宮城野区の農家、佐藤善男さん(80)が約50年前に農業専門誌で知り、興味本位で種もみを購入。田んぼの一区画で主に自家用で栽培を始めた。もちにしたときの粘りの強さ、赤飯にしたときの弾力ある食感にひかれ、知人らにも勧めるほどほれ込み、育ててきた。
しかし、2011年3月、当時仙台市若林区にあった自宅で大きな揺れを感じた。2キロほど離れた畑に避難すると、黒い色をした津波が押し寄せてくるのが見えた。車に乗って逃げたが、自宅は流されて全壊し、敷地内の倉庫に保管していたハツキネの種もみもすべて失った。
「あの味がうまいんだ」。種もみを以前に分けた人たちを尋ね回ったが、同様に津波で流されたり、震災前に栽培をやめていたりして見つからなかった。
探しているのを知った知人男性が13年春、宮城県大崎市の県古川農業試験場に相談。紹介された複数の関西の試験場の情報を頼りに、約500キロ離れた福井県農業試験場(福井市)に電話したところ、保管されていることが分かった。
復興状況を伝えるフリーペーパーの取材で被災地を回っていた公益財団法人「仙台市市民文化事業団」職員、田澤紘子さん(35)がさらにそれを聞きつけて、同年6月、種もみを分けてくれるようお願いする手紙を福井に出した。
受け取ったのは、福井県農業試験場の職員の冨田桂(かつら)さん(57)。冨田さんによると、ハツキネは1961年に試験場が開発した「越南糯(えつなんもち)26号」なのだという。78年に広島県と兵庫県で600ヘクタールが作られたという当時の食糧庁の記録があるだけで、現在はほとんど作られていないらしい。「なぜ仙台なのか全く分からず、不思議な気持ちだった」と振り返る。
試験場では、新たな品種の開発…