久米宏さん=西田裕樹撮影
テレビ朝日の「ニュースステーション」(Nステ)、TBSの「ザ・ベストテン」などなど数々の番組でテレビの新たな歴史を作った久米宏さん(73)が、メディアに身を置いた半世紀を振り返る『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社)を出版した。インタビューでは、その背景や思い入れ、番組の裏話や、妻の麗子さんに対する感謝を語った。
――本には、テレビの世界で誰もやってこなかったことへのこだわりがつづられています。
「自分がやるからには、誰もやってこなかったことをやろう」と思ってやってきました。僕は就職試験をひやかしで受けて、たまたま通りました。「アナウンサーになりたくてなったわけじゃない」ということが、ものすごく大きく影響しました。子どもの頃からテレビやラジオは見たり聴いたりしてきたけれど、だいたいのアナウンサーはよどみなくしゃべる存在で、一言でいうと「誰がやっても同じ」だと思っていました。僕が元々アナウンサー志望だったら、特色のないアナウンサーになっていたでしょうね。
そもそも「アナウンサー」って、機械みたいな響きがして抵抗がありました。若手の頃、台本から肩書を取って名前だけの表記にしてもらったこともあります。当時から「久米宏アナウンサー」じゃなくて、「久米宏」になりたかったんです。
――テレビ番組は編集をしないことや、生放送こそが面白いんだということも伝わる著書です。
例えば、インタビューは相手が答えに詰まってお互いに黙り込んでしまったとしても、それをそのまま流した方が圧倒的に面白い。その方が絶対に視聴者を引きつけられます。
――かつてNステで長嶋茂雄さんにインタビューして「終戦直後、どう過ごしていたのか?」という質問をされましたね。
長嶋さんが終戦直後、どう過ご…