鳳凰堂の中堂(奥)からのびる尾廊=京都府宇治市の平等院
世界遺産・平等院(京都府宇治市)の鳳凰(ほうおう)堂内に橋があったことを示す、明治時代の図面が見つかった。図面では中堂からのびる尾廊(びろう)に橋が描かれているが、いまは橋はなく、板張りの床になっている。平等院は、不明な点が多いかつての姿を推測する上で貴重な資料としている。
平等院の話題はこちらへ
図面には明治22(1889)年の日付がある。奈良・薬師寺の修復などに携わった福井県越前市の宮大工棟梁(とうりょう)、直井光男さん(83)が所有。昨年、平等院の神居文彰(もんしょう)住職らが越前市内で確認した。直井さんは趣味で寺社の図面を集めていて、30年ほど前に東京・神田の古書店で購入したという。
図面は計9枚。尾廊の平面図には、土間と長さ約6メートルの橋が描かれる。側面図には壁や窓があり、鳳凰堂を囲む池を渡るために、建物の内部に橋を設けていたことがわかる。明治修理(1902~07)で橋をなくして床にしたらしい。
平等院側が図面の作成者名などをもとに調べたところ、明治時代、大学で建築史などを教えていた木子清敬(きこきよよし)(1845~1907)らの資料を集めた東京都立中央図書館の「木子文庫」にも同じ図面の一部があることがわかった。
度重なる改修がなされてきた鳳…