「冷泉家時雨亭叢書」の撮影は冷泉家で進められた。虫食いの部分を写らないよう隠すなど、入念な準備が必要だったという=京都市上京区、便利堂提供
「和歌の家」として藤原俊成・定家以来の歌道を守り続けてきた京都・冷泉家(れいぜいけ)に伝わる古文書の写真版複製本(影印本〈えいいんぼん〉)「冷泉家時雨亭叢書(しぐれていそうしょ)」(冷泉家時雨亭文庫編、朝日新聞社刊)全100巻が完結した。1992年の刊行開始から携わってきた人たちは、世紀をまたいだ大事業を感慨深く振り返った。
叢書を企画したのは、朝日新聞出版局の編集者だった上野武さん(73)。80年、冷泉家が長く秘蔵してきた古文書が研究者らに初めて公開された。写真誌「アサヒグラフ」の編集部員だった上野さんは、冷泉家文書を特集した増刊号2冊を担当。その取材過程で、多くの研究者から「ぜひ『影印本』がほしい」という声を聞いた。冷泉家からの要望もあり、社の事業としての出版を提案した。
膨大な文書資料を影印本にすれば、数十冊にはなることが予想されたが、「途中で投げ出すわけにはいかない」。のちに叢書刊行委員会の事務局長となり、2004年の定年まで事業を指揮した。
当初は60巻を刊行する計画だったが、資料の整理が進む中で巻数が追加され、09年の全84巻でいったん完結。しかしそこに入らなかった鎌倉後期の「清少納言集」の写本など、重要性が再確認された資料についても公開を求める声が出たため、14年から16巻の追加刊行を始めた。今月刊行の「百人一首 百人一首注 拾遺(しゅうい、三)」で全100巻が完結した。
写真撮影を手がけたのは、文化財撮影の経験が豊富な京都市の美術工房「便利堂」。チーフを任された当時35歳の岩村孝さん(63)は1989年秋から撮影を始めた。多くの文書が保存修理を受ける前で、もろくなったページを開くのにも気をつかった。
モノクロフィルムによる撮影で、虫食い穴が影を落とすと、墨の跡と区別がつかなくなってしまう。「虫食いの下に細く切った紙を入れて影が出ないようにし、本を開いた状態で固定して。1枚のカットを撮るまでに10分以上かかるのは当たり前でした」
2015年まで計155回、冷泉家に通い、撮影をすべて担当した。「私にとってライフワークになった。長期の事業になることを見越して、若手の私に任せてくれた会社には感謝したい」と話す。
冷泉家時雨亭文庫調査主任の藤本孝一さん(72)は、この事業を25年間見守ってきた。「『文学の正倉院』ともいえる冷泉家に伝わる平安時代から鎌倉時代の文書の多くを、誰もが写真で研究することが可能になった。これまでは内閣文庫などに伝わってきた写本を元に研究されてきた文書が、原本に当たれるようになったことは大きい」と意義を強調した。(編集委員・今井邦彦)