東山遺跡で出土した掘立柱建物の柱の穴=滋賀県甲賀市信楽町黄瀬
奈良時代に聖武(しょうむ)天皇(在位724~749年)が造営したとされる滋賀県甲賀市の紫香楽宮(しがらきのみや)跡(国史跡)の近くにある東山遺跡で、4列にほぼ整然と並んだ計34カ所の掘立柱(ほったてばしら)建物の柱の穴がみつかった。市教育委員会が20日発表した。奈良時代の都城遺跡では異例な、広いひさしを備えた、全面床張りの建物だったとみられ、その規模や特異な構造から、宮殿の一部か、大仏造立(ぞうりゅう)の関連施設などの見方が出ている。
紫香楽宮は、742年に聖武天皇が離宮として造営。翌年に、天皇が奈良・東大寺の大仏につながる「大仏造立の詔(みことのり)」を発した。745年に難波宮(なにわのみや、大阪市)から紫香楽宮に都を移したが、数カ月後には平城京(奈良市)に戻った。
今回の調査で、一辺約1メートルの柱を据える方形穴が34カ所出土。うち33カ所が南北方向に4列にわたって並んでいた。穴の大きさは宮殿中枢部で見つかった建物跡に匹敵し、南北の長さが約30メートル、東西は約15メートルと推定される。4列のうち中央2列が建物の母屋を、外側の1列ずつが東西それぞれのひさしを支える柱とされ、全面を床張りにした構造だったとみられる。
この大型建物跡について、市教委は①紫香楽宮の宮殿施設②大仏の骨組みとなる「体骨柱(たいこっちゅう)」をたてる式典に関わる臨時施設③大仏造立のために創建された「甲賀寺」の建設を担う役所④甲賀寺の一部――の可能性を指摘する。栄原永遠男(さかえはらとわお)・大阪歴史博物館館長(古代史)は「ひさしがあって床張りとすれば、特異な建物だろう。文献史料では紫香楽宮に多くの役所があったことが確認でき、他にも遺跡が眠っていることを示唆している」と話す。
現地説明会は、23日午前11時と午後1時から。信楽高原鉄道紫香楽宮跡駅から徒歩約15分。問い合わせは現地事務所(0748・83・2040)へ。(仲大道)