生きて描きたい、絵は叫ぶ 戦争が奪った画学生の尊厳——贯通日本资讯频道
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生きて描きたい、絵は叫ぶ 戦争が奪った画学生の尊厳

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中村萬平さん(前列中央)が出征する前に家族で撮った写真。後列右から4人目が妻の霜子さん。おなかの中には暁介さんがいた(中村暁介さん提供)


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戦後日本の針路だった憲法9条の改正が、現実味を帯びて語られ始めた。私たちはどこへ向かおうとしているのか。「絵を描き続けたい」。そんな思いを胸に抱きながら、命を落とした画学生の絵を通じて考えたい。(編集委員・豊秀一)


長野県上田市郊外の丘の上に、戦没画学生たちの遺作を集めた美術館「無言館」がある。中へ入るとすぐ左手に、裸婦の油彩画が目に入る。右ひざを立て、裸の胸を抱えている。


「霜子(しもこ)」


絵を描いたのは中村萬平(まんぺい)さん。東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業後、学校でモデルをしていた霜子さんと結婚した。1942年2月に陸軍に入り、43年8月に内モンゴルの野戦病院で病死した。26歳だった。この絵は出征前の萬平さんが妻を描いた作品だ。


「死を覚悟し、戦争に行く前に父が描いたのは、母という身近で最も大切な存在でした」。一人息子の中村暁介(ぎょうすけ)さん(75)=静岡県浜松市=は言う。


暁介さんは両親を知らない。父が陸軍へ行った直後に、母は暁介さんを産んで体調が悪化。1カ月もしないうちに亡くなった。萬平さんが妻の死を悼んだ手紙が残る。


《三月三日の朝四時との事でしたが、私もその朝、小便におきて、いつにない大きな月が私のこころをひきつけました。しばらくながめていましたが、あれが霜子だったのですね。霜子は私の事を太陽にたとえて歌をつくったり、尊敬もしてくれました。それで自分が月になって私に別れに来ました》


母に続いて父を亡くし、45年末に祖父も病死。祖母が駄菓子屋などを営みながら、暁介さんを育てた。「あんなに立派で優秀な子はいなかった」が口癖。モデルの母と父との結婚に反対だった祖母は、母のことは語らなかった。


戦後も30年がたとうとしていたころ。押し入れの古い包みから油絵が出てきた。遺作「霜子」だ。その数年前に亡くなった祖母がしまっていた。「最初はだれを描いているかわからなかったが、後に母だと知った」と暁介さんは振り返る。


無言館が開設されたのは97年5月。それから20年、「霜子」は、訪れた100万を超える人たちを見つめてきた。


「彼らが絵を描いた時代があり、戦争が表現者である彼らの尊厳を奪った。このことを私たちは忘れてはなりません」。館主の窪島誠一郎さん(76)は、社会の空気の変化にそんな思いを強くしている。


3年かけて画学生らの遺族を訪…



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