批評家の浅田彰さん=柴田悠貴撮影
社会や思想の枠組みが揺らぐ時代、人々は前向きに逃げたり、自身の立ち位置をずらしたりして、新しい創造や取り組みへ向かおうとしている。そんな21世紀における「逃走」のあり方について、『逃走論』(1984年)の著者で批評家・京都造形芸術大教授の浅田彰さん(60)に話を聞いた。
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80年代は消費社会・情報社会が訪れ、新しいライフスタイルが次々と提案されるなか、旧来の「家族」「男らしさ/女らしさ」といった価値観が変化しつつありました。
背後には重厚長大型から軽薄短小型に、定期雇用型から不定期雇用型に、という資本主義の変化がある。ただ相変わらず古い価値観やアイデンティティーに固執する人々も多い。68年以後の新左翼運動さえ、自己の「総括」にこだわり、72年の連合赤軍事件のような袋小路に入ってしまった。それくらいなら、資本主義を半ば肯定しつつ、そんなパラノ(偏執)的な鋳型を捨てて、スキゾ的(分裂)に逃走しよう。多様な人々と横につながり、自分も変身していこう、と提唱したわけです。それは、女性解放運動や緑の運動といった、マイノリティー運動の横への連携に結びつくビジョンでした。
ただ、冷戦終結以降、急速にグローバル化した資本主義の力は恐るべきもので、逃走の試みの多くは資本主義にのみ込まれた。
そこには情報技術のもたらした…