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お葬式は誰のため? 「弔いのあり方」を考える

作者:佚名  来源:asahi.com   更新:2018-2-11 9:47:39  点击:  切换到繁體中文

 

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朝日新聞デジタルのフォーラムアンケート


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お葬式はそもそも誰のために執り行うのでしょうか。故人のためか、遺族のためか、その両方なのか。送る側か、送られる側か、その立場によっても見方は違ってきます。望ましいお葬式のスタイルや費用、僧侶ら宗教者が関わる意味についても考え方はさまざまです。当事者や専門家らにさらに話を聞きました。


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寺を入れず 自分らしく


家族のこと、自分のこと。お葬式をめぐって様々な声がアンケートに寄せられました。



●「最近、死は誰のものかと考えています。10年前に母を、5年前に父を亡くしました。身内だけのこぢんまりとした葬儀を本人は望んでいたようですが、葬儀は親戚、友人を含め、残された者のためと思い、慣習に沿った盛大な葬儀をあげました。形式的でしたが、結果的に生前あった様々な絆を確かめられ、一つの区切りがついたことで、家族としては気持ちが楽になりました。もちろん田舎ならではのしがらみは感じましたが、後悔はありません。私自身も家族葬でよいと思いますが、最後は葬式をあげる家族に委ねたいと思います」(神奈川県・30代男性)


●「3年前、教員だった夫をがんで亡くしました。最後は自宅にも帰れず、家族も病院との往復で休まる暇もなかったため、葬儀は家族だけでと思い、娘(高校生、中学生)に相談しました。予想に反し、父に思いを寄せてくれた生徒や同僚、友人の方々にお別れの場を設けてあげたいと言うので、セレモニーホールでの一般的な葬儀をしました。途切れることのない会葬者の列を見、今まで知らなかった故人のエピソードに触れ、娘たちの心には父の生きた証しが刻み付けられたようです。お金もかかり大変ではありましたが、残された家族にはその後の生きる力の元になりました。葬儀もお墓も、残された者が死を受け入れ悲しみを越えていくためのものと思います」(東京都・50代女性)


●「父(享年82歳)の葬儀は、母の希望で広い会場を借りました。でも何十年も前に会社を引退していて、大勢来るわけもなく、ガラガラでした。長生きすると、会社の付き合いも疎遠になってしまいます。しかも老人会とか、地元の付き合いを軽蔑していた父の葬儀は本当に寂しいものでした。ご近所の方もほとんど年金生活者で、香典は大きな出費なので、母が無理に出席をお願いしていたようで気の毒でした。自分の時は、家族だけで、告別式だけにしようと考えています。年金をたくさん受給できる世代ではないので、余裕はないです」(千葉県・50代女性)


●「5年前に夫が亡くなりました。当時、誰のかわからないようなお墓がいくつもあったのを処分して、場所も移して新しいものを建てました。私はその墓には入りたくないのですが、なんせ田舎なのでそうもいきません。親戚や近所の手前、仕方がない。私の娘たちは墓じまいしてと言っています。私は海に散骨希望です。跡形もなく消えてしまいたい。子どもには、葬式やその後の法要で迷惑かけたくないです」(福井県・50代女性)


●「葬儀社に勤めている者ですが、日々葬儀のお手伝いをさせていただく中で個人的に思うことは、『家族葬にしても親族だけでなく最低限の関係者は呼ぶべき』ということ。お骨になってから自宅にお参りされても、葬儀の後がダラダラ続くだけ。御家族の負担を考えると多少費用がかさんでも(できるのであれば)、2日間で終わらせた方がいいと思います」(大阪府・20代女性)


●「私は一般の家庭から得度し僧侶になりました。インターネットなどでやってくるお坊さんの中には僧侶の修行もしていない、資格も持っていない偽物が多くいます。注意してください。戒名の意味がわかっていない方が多いと思います。これは私たち僧侶にも責任があります。字数が足りないので伝えられませんが私たち僧侶にも答える機会をください。よろしくお願いします」(神奈川県・50代男性)


●「寺族の一員として、法外な葬儀のお礼や戒名料の情報を見るたび、葬儀は無用の意見も仕方なく思います。当寺では、すべてお志をいただくので困ると言われる事も多いのですが、それが宗教のありかただと信じています。墓も寺内にはなく、私たちの先祖も本山の永代供養共同墓地に納骨していますし、これからもそうするつもりです。檀家(だんか)さんには自由にしていただいていますが、お墓が必要なくてありがたいといわれます」(京都府・70代女性)


●「寺を介入させずに、私の思いを、1人ずつ文章につづっておくので、司会者に、ゆっくり読み上げて欲しい。祭壇は、簡素にし、花は私の希望する花で、飾って欲しい。また、柩(ひつぎ)の上には、私の成人式で用意した着物で、覆って欲しい!」(福岡県・60代女性)


●「実際の生活で、なんの関係もない僧侶の関与は不要。子供たちは見送ってくれると思うので、静かな場があれば十分。あとは、古くからの葬儀をやっている地域なので、ご近所との関係をどうするかが残る」(三重県・60代男性)


●「皆が世間体を気にしないようになれば変わる。無宗教の人が葬儀の時だけ坊さんを呼ぶのはおかしい。死んだ人にお金を使うより生きている人に使う方が合理的」(京都府・60代女性)


●「日本の葬儀のシステムは、故人とその家族のためというよりも、お寺の維持と僧侶の給与を賄うためにある気がします」(海外・40代男性)


●「菩提(ぼだい)寺の住職が急死し、娘婿が仕事を辞めて寺を継いだが宗教者としての品格に欠け、自分の葬儀を任せたくない。葬式仏教といわれて久しいが寺は葬儀執行人派遣所と化し、本来の役割が忘れ去られている。自分の葬儀は無宗教で家族や友人のみでしめやかに行って欲しいと思っている」(新潟県・60代男性)


●「自分の葬儀については関与しようがないが、僧侶のお経、牧師あるいは神父の説教もいらない。子供や近しい親類・友人が集まって『勝手な人だったね、でもいなくなると寂しいね』とでも言ってもらえればそれで良い。お墓もいらない。散骨あるいは樹木葬にでもしてもらえば場所もとらないで済む。誰かの記憶の中にあればそれで良い。それも確認のしようはない」(千葉県・60代男性)


●「ゼニカネかけなくていいから、笑って送ってほしい。とはいえど、現実的じゃないかも。せめて、なんでもいいから当人が生きた証しが末永く残るようにしといてほしいね。墓じゃなくとも」(埼玉県・60代男性)


●「一人っ子の私。父亡き後、母の葬儀は私が仕切ることはわかっていたのでかなり前から葬儀は直葬と決めていた。残った人間が疲れるようでは意味がない、信仰心もないので読経もなし。親戚の反対もあったが内容のわからない読経……形だけのお坊さんにお金使うよりは装束を可愛くしてお金をかけたと説明すると納得してもらえた。葬儀屋さんの提案だっただけなのだが。形にこだわりたくないという直葬への思いを強く感じとってくれた葬儀屋だった。私はお金をケチるために直葬にした訳ではない。結果的に出席した身内たちは全く疲労感がなかったので自分たちも直葬にすると言いながら帰途についた」(大阪府・50代女性)


●「先日母が亡くなりました。突然訪れた現実に戸惑いは大きかったのですが、救ってくれたのはセレモニーホールの方です。お迎えから自宅の祭壇の設置、そして丁寧な死化粧と感動すらありました。何もわからない我々家族に誠意あふれるご対応は、費用を超えた満足感と母を十分見送れた安堵(あんど)感でいっぱいでした。四十九日法要の朝もきれいなお花を届けて下さりました」(石川県・40代男性)


家族葬 遺言通りなのに…


大阪府岸和田市の主婦、小島栄子さん(57)は、家族だけのこぢんまりした葬儀に疑問も感じたそうです。何があったのでしょうか。


2009年、和歌山県有田市に住んでいた夫の父が亡くなり、市内のセレモニーホールでの葬儀には、檀那寺(だんなでら)の住職に頼み、親戚や近所の人、夫の会社関係者ら約150人が参列しましたが、母は「私の葬儀は自宅で、家族だけで見送ってほしい」と言いました。


10カ月後に母が亡くなり、希望通り、家族や近親者約10人が家に集まり母を送りました。父の時と同じ住職の読経の最中、何本も電話がかかってきました。母の友人からです。「なんで教えてくれなかったの」「最後のお別れがしたかったのに」


出棺は近所の人たちが見送ってくれましたが、「この前の(父の)葬式と比べると質素でかわいそう」「えらい扱いだ。こんな目に遭わせて」という声が聞こえてきました。母の遺言であることを告げても納得してもらえません。


葬式の翌日から、近所や母が年賀状のやり取りをしていた友人らの家を夫と一緒に車で回りました。数十軒あり、1週間かかりました。玄関先で母の死を告げると、「葬式には故人が生前にお世話になったという感謝と、残された家族をよろしくという意味がある」「友だちだってお別れを言いたい。それを遮るのはおかしい」と言われました。


小島さんは「葬儀が終わっても落ちつきません。父の時のほうがすっきりと心の整理ができ、家族葬の大変さを実感しました」。一方、母の思い通りにしてあげられた充実感や、家族だけでしのぶことができた満足感もあります。「私の時には、家族葬がもっと一般的になっているでしょう。夫も退職して会社関係の人は減り、親戚も亡くなり、地域の付き合いも薄くなっているので、両親のときより参列者は少ないと思います。大変だったけど母のように家族だけで、ほんわかした葬儀にしてほしい」(岡田匠)


葬儀サービス「安さより明朗さで支持」


こぢんまりとした家族葬を望む人が増え、明朗会計を掲げるサービスが業績を伸ばしています。流通大手イオンが2009年に始めた「イオンのお葬式」は、イオンライフ(千葉市)が全国の葬儀社と提携し、全国一律のサービスを提供しています。当初は年間件数が毎年40~50%増の勢いでしたが、同じようなサービスが増え、最近は十数%ほどの伸び率だといいます。サービスの利用者は都市部が約7割を占めます。地方から都会に出て年をとった人が亡くなる際、実家の菩提(ぼだい)寺や墓が遠く離れている場合に頼むケースが多いようです。


提供するセットプランは6種類。一番依頼が多いのは49万8千円の「家族葬」で、全体の4割を占めます。ここでいう家族葬とは「呼ぶ人を自分で決める葬儀」のこと。30~50人の規模で、通夜、告別式、初七日などが含まれます。次いで、34万8千円の「一日葬」と19万8千円の「火葬式」が合わせて約5割を占めます。一日葬は通夜をせずに一日で葬儀を終えるプランです。「遠方からくる親類の負担を減らしたい」という人たちの依頼が多いといいます。火葬式はいわゆる「直葬」で、お通夜や告別式はありません。死を知らせる人がほとんどいないようなケースなどで利用されているそうです。


他に、家族葬よりも多い80人ほどの参列を想定した「身内葬」は59万8千円。職場関係者や近所の人など幅広く参列する「一般葬」は69万8千円。読経や戒名の費用は含まれず、別途、寺院を紹介します。「お布施の目安」として示されているのは火葬式が4万5千円、一日葬が7万5千円、その他のプランが15万円です。約1200の寺院と提携し、仏教以外にも神道やキリスト教にも対応しています。全体の依頼の4割強が、寺院紹介のサービスを利用しています。


葬儀社などを紹介した後は、葬儀社が出した見積書をチェックし、追加したサービスがあれば利用者が納得しているものか確認します。イオンライフの広原章隆社長は「大事な人が亡くなると、お金の話は頭に入ってこなくなるもの。そんな状態でどんどんサービスを追加されないように、第三者による監視という役割もあります」。


広原社長は「多くの人は葬儀社に対して『高くなるのでは』といった不安を抱いています。このサービスが支持された理由は、安さよりも明朗な点ではないでしょうか」と分析しています。


葬儀の費用は各葬儀社に利用者が支払うため、イオンに入ってくるのは葬儀社からの手数料だけです。ですが、「決して手数料ビジネスではない」と言います。位牌(いはい)や香典の返礼品の販売、四十九日の法要の寺院の手配、相続の相談やお墓や納骨堂の販売も手がけています。


ベンチャー企業「ユニクエスト・オンライン」(大阪市西区)が運営する「小さなお葬式」も09年にサービスを始め、16年度までに10万件の葬儀を手がけました。年度別でみると15年度は2万4千件、16年度は3万5千件と増えています。主要宗派の全国1千寺、葬儀社1千社と提携しています。全国で使える葬儀場は3500施設あります。


もともとは様々な葬儀社が営む葬儀の価格の比較・検索サイトを手がけていましたが、葬儀社によってまちまちで相場がありませんでした。そこで追加料金なしの定額で葬儀を提供するサービスを始めたといいます。


現在の主なプランは、通常価格で、通夜・告別式をせず火葬だけの「小さな火葬式」が19万3千円。告別式だけの「小さな一日葬」が34万3千円。通夜も告別式もする「小さな家族葬」が49万3千円。僧侶の手配は別料金です。身寄りのない人たちを対象にした「任せてあんしん 生前契約プラン」もあります。生きているうちに納骨先まで決めておき、亡くなったときには葬儀の段取りや納骨までやってくれます。お墓の紹介もしています。一般墓、納骨堂、樹木葬、永代供養、海洋散骨、自宅供養(手元供養)の6種類から選べ、各地の寺や霊園を紹介しています。


利用者は、首都圏をはじめ都市部で寺との付き合いがない人が大半で、火葬式が4割、一日葬が3割、家族葬が3割で、ほぼ半数が僧侶の手配も依頼します。


提携する寺は、都市部が多いですが地方も増えています。人口減などで檀家(だんか)がいなくなった寺や、檀家がいても今後減っていくことをみすえて「このままではやっていけない」という危機感から同社と提携に踏み切る寺も多いそうです。


広報の立本(たちもと)梨紗さん(29)は「お葬式をネットで探す時代。お布施のように相場が不明で地域によって異なるのではなく、決まった価格を明示し、どの地域にいても安心して使ってもらえます」と話しています。(田中聡子)


お布施や僧侶の意味 伝える努力 全日本仏教会理事の戸松義晴さん


お布施の意味やお寺の役割をどう考えればいいのか。全日本仏教会理事で浄土宗僧侶の戸松義晴さん(64)に聞きました。



仏教では六波羅蜜という六つの修行の一つに「布施」があり、本来、お布施は宗教行為にあたります。喜捨(きしゃ)とも言い、「ありがたかった。喜んで施します」という思いが込められ、出す人に決定権があります。それなのに、出す人の家庭環境や経済的事情も考慮せずに請求する寺もあり、お経や戒名への礼金、あたかも対価のようになってしまいました。


もともと葬儀は地域で担っていましたが、高度成長期ごろから葬儀社が祭壇の準備や火葬などを代行するようになりました。寺や地域から葬儀社に主導権が移り、ビジネスの要素が強くなったわけです。ただ、その頃はまだ、その地域ごとに相応の金額が決まっていました。今はインターネットで全国統一の価格設定をする葬儀社もあります。対価の平等化です。地域や寺との関係がなくなった人が増えたことが背景にあります。


檀家(だんか)制度は、その土地に住んでいることが前提で、離れる人が増えれば揺らぎます。その人たちをケアするシステムを寺が作ってこなかったわけです。檀家が亡くなれば都市部に出向いてお経をあげ、住まいに近い寺を紹介するという信頼関係を保つ努力をしてきませんでした。寺は大いに反省しなければなりません。


ネットにみられる葬儀料金の定額化は「分かりやすくて安心」という人もいますが、地域によってはもっと安く葬儀をしてきたところもあります。定額は平等のようで実は平等ではありません。


一方、お布施に対する不信感は、寺や僧侶がそれをどう使っているのか不透明なことから生まれます。僧侶が日頃から檀家とコミュニケーションをとり、寺の活動やお布施の意義を理解してもらうよう努力すべきです。


弔いの場は、死に立ち会ってきた僧侶が、大切な人を亡くした方々の悲しみに寄り添う場でもあります。儀式を執り行うことで、心の区切りもつけられます。


しかし、葬儀で住職がお経だけ読んで法話もせず、ご遺族と会話もしないで帰るようでは、そのうちにロボットに取って代わられるかもしれません。寺の存在や僧侶の役割を感じてもらい、僧侶は襟を正して宗教者としての社会的使命を果たしていかなければなりません。まさに今は仏教の真価が問われています。(聞き手・岡田匠)





 

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