憲法9条と「戦力」をめぐるイメージ
教えて!憲法 基本のき:6
二度と戦争をしない――。日本国憲法の三大原理の一つ、平和主義をうたった前文の理念を実際にかたちにしたのが9条だ。1項で「戦争の放棄」を、2項で軍隊を持たない「戦力の不保持」と交戦権をみとめない「交戦権の否認」をさだめる。
特集:教えて!憲法
こうした条文にかかわらず、日本は自衛隊を持つ。防衛費(軍事費)は年5兆円を超え、世界十指に入る「軍事大国」だ。政府は軍事用語をなるべくつかわず、歩兵を普通科、軍艦を護衛艦などと呼ぶが、潜水艦をはじめ、装備面で最新鋭のものも少なくない。
9条があるのに、なぜ軍隊のような自衛隊が生まれたのか。
戦争に敗れた日本は、戦勝国から武装解除をせまられ、軍をなくした。ところが、朝鮮戦争が1950年にはじまると、連合国軍総司令部(GHQ)の要求で警察予備隊をつくった。朝鮮半島に送られる駐留米軍の穴をうめるためだった。
警察予備隊を警察をおぎなう実力組織と位置づけつつ、強力な武器を持たせた。後に保安隊をへて、1954年に自衛隊となった。軍隊でも警察でもないながらも、国防を主な任務とする組織ができた。
当時の政府の説明は、憲法で戦争を放棄したが、国際法でみとめられている「自国を防衛するために必要な一定の実力を使う権利=自衛権」は持っている、というものだった。戦力は「自衛のための必要最小限度の実力を超えるもの」と定義。自衛隊は、憲法で持つことが禁じられた戦力ではないとの立場をとった。
しかし、戦力と実力の境目は「必要最小限度」をどうとらえるか次第でかわり、あいまいだ。結果的に自衛隊が活動範囲をいたずらに広げる歯止めになってきたとの見方もあるが、初めから憲法論争の中心だった。
戦争のきずあとが生々しく残るなか、国会では、9条などの改憲をかかげる自民党政権に対し、9条の徹底と非武装中立を主張する社会党が立ちはだかった。このため、歴代の政権は改憲に必要な議席数を得られず、自衛隊の活動範囲を広げるたびに、「自衛隊=合憲」の理屈を考えた。
たとえば、1990年代には、国連の平和維持活動(PKO)に参加するため、海外での武力行使に歯止めをかける「参加5原則」をつくった。2000年代には、イラク戦争後の復興支援にたずさわるため、戦闘が起きる可能性のない「非戦闘地域」という理屈を持ちだした。
直近では、14年に安倍政権が集団的自衛権を一部とはいえ行使できる、と9条解釈を変えた。集団的自衛権は、同盟国が攻撃された場合に、共同して防衛に当たる権利のことで、歴代政権が9条のもとでは行使できないと解釈してきた。
安倍晋三首相は昨年5月には、自衛隊の存在を9条に明記するよう提案。現在の憲法論議につながっている。(二階堂勇)