インタビューに応じるレフ・ワレサ氏=1日、グダニスク、高野弦撮影
1989年、東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」が崩壊する契機の一つになったのは、ポーランドの労組「連帯」が主導した民主化運動だった。その求心力となって運動を率い、ノーベル平和賞も受賞した初代委員長の目には、分断が進むいまの世界はどう映っているのか。ポーランド元大統領のレフ・ワレサ氏に聞く。
――あなたが率いたポーランドの「連帯」のうねりが、旧ソ連・東欧の共産主義体制の崩壊につながってからまもなく30年です。いま世界で「連帯」よりも「分断」が目立つのはなぜでしょう。
「人々の間の共通の基盤が失われたことが大きいと思います。共産主義政権のポーランドではすべてを上が決め、それが約50年続いていました。しかし、人々の連帯を通じて、自由を勝ちとったあと、個人個人はばらばらになってしまいました。共産時代は全員が等しく貧しかった。自由になってからは貧しい人と、ものすごく豊かな人が出てきて、嫉妬が生まれました。ポピュリズムや扇動政治家(デマゴーグ)、拝金主義が台頭し、対立を招いているのが現状です」
――「連帯」という言葉はワレサさん自身が考えたのですか。
「いや、自然に出てきたものです。その哲学はシンプルで、重いものが一人では持ち上げられないときは、誰かに手伝いを頼もう、という考え方でした」
――そのときの重荷とは。
「(ポーランドを含む東欧諸国を支配した)ソ連や共産主義のことです。その重荷を自分たちで持ち上げるのが大変ならば、ポーランド人全員に頼めばいい。それでもだめなら全世界に、と考えたのが『連帯』だったのです」
――当時の「連帯」の動きは、89年のベルリンの壁崩壊や東欧革命へとつながりました。世界的な影響は予期できていたのですか。
「壁が崩壊したのは、西ドイツのコール首相がポーランドを訪問しているさなかでした。私は、彼に会い、『もうすぐベルリンの壁が崩壊し、ソ連も崩壊します』と明言しました。コール氏はどうしたらいいかわからないという表情で、『それが起こってほしいとは思うが、私たちが生きている間は無理だ。私たちの土地(欧州)には大きな木(ソ連)が枝を広げて生えているから』と答えました。私には、革命家としてそれが起きることが分かっていました」
人々は「自由」の使い方がわからなかった
――しかしそれから四半世紀余り。世界が融合へと向かうのではなく、今のような「分断」に突き進むことになるのは、だれにも予期できなかったように思います。
「大半の人は、手にした『自由』の使い方が分からなかったのです。エリートは、いい変化だと思った。でも大衆はどうしたら良いか分からず不満を持つようになっていったのです。未来は(共通の)『価値』という基礎の上に築くべきです。その『価値』を皆で決められたら、その土台の上に建設を始めることができるのです」
――みなが共有できる価値や基盤とは、どのようなものですか。
「まず民主主義(という価値)…