1979年開業当時のカプセル・イン大阪(大阪市北区、コトブキシーティング提供)
「世界初」といわれるカプセルホテルが大阪で誕生して約40年。進化を続け、「安くて寝るだけ」から多様な変化を遂げている。
「この新しい個室空間をどう使いこなすか…。これこそ一人旅の男のセンスだ」。宇宙船のようなカプセルが描かれたポスターに言葉が躍る。1979年2月、大阪・梅田駅近くに開館した世界初といわれるカプセルホテル「カプセル・イン大阪」の広告だ。
「70年に大阪万博が開かれ、経済がよく回る時代だった。街は不夜城。皆、よく働き、よく遊んでいた」。開発に携わった中野佳則さん(69)は振り返る。当時、24時間営業のサウナの廊下やラウンジの床は、寝入る客でぎっしり。見かねた中野さんらは「働く人の癒やしの場所を提供し、夢のある未来を感じるものを作りたい」と考えた。
思い浮かんだのが、建築家の黒川紀章さんが大阪万博で発表した六面体のカプセルを組み合わせた建築。黒川さんの事務所に相談、事務所が設計を担当した。
サウナの上層階にカプセルのフロアを造り、上下にずらりと並べた。カプセルは宇宙船をイメージし、寝たままテレビが見られ、照明のスイッチにも手が届くように工夫した。カプセルは高さ約1メートル、幅約1メートル、奥行き約2メートル。男性専用で1泊1600円と安く、連日満室になった。
苦境救った女性客と外国人客
初のカプセルを「カプセル・イン大阪」に納入したのが、今も業界最大のシェアを誇るコトブキシーティング(東京)だ。深澤重幸社長(77)は「安く便利で安心なカプセルベッドは日本中に広まった」。だが、出荷数は91年をピークにバブル崩壊とともに激減。事業撤退の声も出たが「お客さんが使う限り続けないといけない。一種の社会インフラだ」と深澤社長は反対、仮眠室向けカプセルの製造も始め、細々と続けた。
苦境に陥ったカプセルホテルを救ったのは女性客と外国人客だ。背景には残業や出張など女性の働き方の変化や一人旅の増加がある。格安航空会社の登場や、インターネットで海外からも簡単に予約できるようになったことも影響した。2010年ごろから、従来の「安くて寝るだけ」のイメージを覆す多様なカプセルホテルが登場し始めた。
デザイン性が高いのが、09年に京都に1号店がオープンした「ナインアワーズ」だ。従来の箱形と違う、柔らかな丸いフォルムのカプセルはテレビもなくシンプルな造り。「シャワー1時間、眠る7時間、身支度の1時間の計9時間。コンパクトな滞在時間にちょうどいいサービスを提供することが本当の豊かさだと考えた」と創業者の油井啓祐さん(47)は言う。
ホテルなどに納入するコトブキのカプセルベッドの出荷数は11~16年の5年間で約10倍に伸びた。17年には、ピークの1991年を上回り過去最高になった。
ハイテクを使ったり、共用部分を充実させたり、カプセルホテルの進化は続く。
今春、開業した「安心お宿プレミア京都四条烏丸店」は女性専用フロアもあり、カプセルにいてトイレや大浴場の混雑状況がわかる。扉や更衣ロッカーに設置されたセンサーで使用状況を把握。ネットで即時に客に情報を送る。
3月にオープンした「ザ・ミレニアルズ渋谷」は外国人客が7割。共用のラウンジや、様々な職種の人が使えるコワーキングスペースも併設する。客の交流や新たな出会いを促すことを目指した。
かつて「ウサギ小屋」のようなホテルと揶揄(やゆ)されたカプセルホテルは、いまやSNSを通じて世界に発信、新たな客を呼び込む。
■ひとりカラオケ、漫画喫茶は副…