開会式での入場行進。首里高校は47校の最後列で入場。スタンドからの拍手も圧倒的に大きかったという=1958年8月、甲子園球場、朝日新聞社撮影
今年で100回を迎える全国高校野球選手権大会の地方大会が23日、全国に先駆けて沖縄と南北北海道で開幕する。沖縄県勢は戦後、米国統治下から本土復帰を経て半世紀以上、甲子園出場をつないできた。スポーツキャスターの長島三奈さんが、初出場校・首里高校の元球児らに思いを聞いた。
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首里は1958年、甲子園に出場。福井県代表の敦賀高校に0―3で敗れた。
首里の左翼手だった山口辰次さん(78)は「高く盛られたマウンドなんて見たことがなかったし、見るもの聞くものみんな初めて。おじけ付いたし、本土との差を感じましたよ」。三塁手だった金城睦俊(ぼくしゅん)さん(77)は「入場行進で、左足から出そう、とかみんなで練習したけど、結局どうやったか覚えていない」と振り返った。
圧倒されて終わった甲子園。だが、選手たちは帰り道でさらに「本土との壁」を味わう。「一生の思い出」と持ち帰った甲子園の土が、那覇港に到着する直前で没収された。植物防疫法で「外国の土」である甲子園の土を沖縄に持ち帰ることが禁じられていたためだ。
長島さんが「びっくりしたのではないか」と水を向けると、山口さんは「『ひどいよ』って。沖縄は県だけど外国扱い。まざまざと知った」。首里にはその後、「土ではなく焼き物なら」と甲子園の土で焼かれた皿や、阪神甲子園球場の小石を詰めた小箱が贈られた。今、高校の敷地内には小石を埋め込んだ「友愛の碑」が立つ。
23日の始球式では、100回大会記念イベントとして全国を九つのボールが巡る「始球式リレー」が、全国の地方大会に先駆けて実施される。ボールを投じるのは、首里の初出場から4年後、甲子園の切符を勝ち取った沖縄高校(現在の沖縄尚学高校)の元エース安仁屋宗八さんだ。
沖縄県民の様々な思いをつないできた高校野球。山口さんはこう語る。「土を持ち帰るのも今では普通。その普通がいいんです。私らの時代には、その『普通』がなかったから」(佐藤岳史)