チビチリガマの前で被爆ピアノを囲んで歌を披露する読谷小の児童たち=2018年6月2日午前11時20分、沖縄県読谷村、伊藤宏樹撮影
沖縄戦で米軍の上陸直後に住民83人が「集団自決」に追い込まれた沖縄県読谷村(よみたんそん)の洞窟「チビチリガマ」で2日、広島の原爆で傷ついた「被爆ピアノ」の演奏会があった。昨年9月には少年4人がガマ内を荒らす事件も起きたが、音色を聴いた遺族らは「命の尊さを発信しつづける場所にしたい」と思いを新たにした。
ピアノは広島市の調律師矢川光則さん(66)が所有する1938年製の日本楽器製造(現ヤマハ)のアップライトピアノ。爆心地から約3キロの民家にあり、98年に寄贈を受けた。昨年12月にはノルウェー・オスロに運ばれ、国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)のノーベル平和賞受賞記念コンサートでも演奏されている。
矢川さんは例年、被爆ピアノをトラックに載せ、平和学習として沖縄県の学校や公民館を訪問している。昨年1月の読谷村での演奏会を機に、チビチリガマでも演奏ができないか、遺族会などと模索していた。
この日は午前、午後の2回公演。村民ら6人の演奏や歌と、村内2校の小学生が「チビチリガマの歌」を合唱した。読谷小6年の比嘉廉(れん)さん(11)は「『平和(みるく)世(ゆ)願(にが)てぃ 物(むぬ)知らし所(どぅくる)チビチリガマ』という部分に思いを込めて歌った。みんなで戦争のことを考えていきたい」。矢川さんは「ここでの演奏は特別。胸にずんと響いた。少しでも慰霊の思いが届けば」と話した。
実行委員長を務めた遺族会長の与那覇徳雄さん(63)は「原爆で傷ついたピアノだが、すばらしい音色が響いた。73年前の事件をどう語り継ぐか悩んでいるが、今日ここで歌った子どもたちが平和や命の尊さを継承してくれれば」と願った。(伊藤宏樹)