平和の礎の前で、涙ながらに三線(さんしん)を弾く人=2018年6月23日午前6時39分、沖縄県糸満市の平和祈念公園、松本俊撮影
沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦での犠牲者らを追悼する「慰霊の日」を迎えた。沖縄本島南部の沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では正午前から、沖縄全戦没者追悼式が開かれた。翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設を進める政府の姿勢を批判した。
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沖縄戦での旧日本軍の組織的戦闘は、1945年6月23日に終わったとされる。県民と日米の軍人らを合わせた死者数は20万人以上と言われる。摩文仁は激戦地の一つで、平和祈念公園内にある「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦の犠牲者や県出身戦没者たちの名前が1人ずつ刻まれている。
礎には今年58人が新たに追加され、刻銘数は24万1525人になった。この日は早朝から、遺族らが次々と集まり、花や食べ物を礎の前に供えたり、話しかけたりする様子が見られた。
追悼式は県などが主催。安倍晋三首相、衆参両院議長らが参列した。正午に参列者が黙禱(もくとう)を捧げた後、献花した。
浦添(うらそえ)市立港川中学校3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が、県平和祈念資料館が募った作品の中から選ばれた自作の「平和の詩」を朗読。先人たちに不戦を誓った。
翁長氏は平和宣言で、戦後73年を経ても、国土面積の約0・6%に過ぎない沖縄に米軍専用施設の約70%が集中している現状を説明。昨年来、米軍ヘリの不時着・炎上や窓落下、米軍機の沖合での墜落などが相次いでいることも踏まえ、県民が過重な負担に苦しんでいると訴えた。
史上初の米朝首脳会談があったことにも言及。東アジアの緊張緩和に向けた動きの始まりと指摘し、普天間飛行場の辺野古移設を「唯一の解決策」とする日米両政府の方針について「沖縄の基地負担軽減、アジアの緊張緩和の流れに逆行していると言わざるを得ず、全く容認できない」と改めて批判した。平和宣言に辺野古への移設問題を盛り込むのは、知事就任以来4年連続となる。
安倍首相は来賓としてあいさつ。哀悼の意を示し、沖縄の過重な基地負担について「何としても変えていかなければならない」と述べた。辺野古への移設には今年も触れなかった。(山下龍一)