(27日、高校野球広島大会 広陵3-1広島商)
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1点を追う五回1死三塁、村上光瑠(3年)の打球が高く跳ねる。昨夏の広島王者・広陵に食らいつく同点の二ゴロ。不格好に奪った1点に、「広商野球」の本質を見た。
この直前、3ボール1ストライクのスクイズカウント。荒谷忠勝監督は「さあ、行け」といわんばかりに、両手を広げた。サインは与えなかった。
広島商には、バントで築いた栄光がある。木製バットを使う最後の大会となった1973年夏。甲子園の決勝で九回にスリーバントスクイズを決めて5度目の全国優勝をつかんだ。県内最多の全国選手権出場22回も、バントを使った緻密(ちみつ)な野球で積み上げてきた。
代名詞となった攻撃を仕掛ける絶好の場面で、OBでもある荒谷監督は、それを選ばなかった。「頭にはもちろんありましたが、あそこは任せました」。選手たちの力を信じた。
伝統と決別したわけではない。形が変わっただけだ。主将でもある村上の思考が、それを物語る。サインがないことを確認し、「やるべきことをやろう」と頭を整理した。追い込まれた後、体勢を崩しながらも「最低限の仕事を」と必死に転がした。この粘りや次につなごうとする気持ちが、広島の高校野球を引っ張ってきた「広商野球」そのものだった。
エースの中村光希(3年)の力投もあり、接戦に持ち込んだ。2本の本塁打で突き放され、1―3で敗れた。近年のトレンドになっている強打に屈した形となったが、昨夏の全国準優勝校と互角の戦いは見せた。
低迷や不祥事を経て、迎えた100回目の夏。2004年以来となる甲子園には手が届かなかった。それでも、村上に涙はない。「チーム全員で色んな試練を乗り越えて、4強までこられたから」。思いは、後輩に託した。「甲子園までは、あと一歩だと感じた。その一歩を見つけてほしい」(小俣勇貴)