被爆者の高齢化で被爆体験を語れる人が少なくなるなか、新しいかたちの平和教育に挑む若者がいる。長崎大教育学部4年の光岡華子さん(22)。被爆者や市民が国際社会を動かして核兵器禁止条約ができた過程を肌身で感じたことが原動力の一つ。いずれ平和を「仕事」にしたい。そんな思いも温めている。
【動くグラフ】世界の核兵器、これだけある
被爆者は今、核兵器と人類の関係は…核といのちを考える
プラスチック製のBB弾を一つずつ、金属の缶に2度落とす。「これが広島と長崎の原爆」と説明したあと、いま世界にある核弾頭の数と同じ1万4450個を別の缶から一気に落とした。ザァー。目をつむって聞いていた生徒たちが大きな音に体を縮こまらせた。
7月12日、長崎県諫早市の中学校であった光岡さんら4人の大学生による平和授業。核の脅威を体感できる工夫をこらす。「平和は算数のように、答えが決まっているものじゃない」。授業の途中、生徒に「どう思う?」と投げかけ、意見を聞いて回る。用意された答えを聞いてもらうだけでは意味がないと考えるからだ。
佐賀県出身。大学進学を機に長崎で暮らし始めた。被爆者には縁がなく、核兵器の問題も特に興味はなかった。
異文化や平和には関心があった。大学2年の時、マレーシアでの国際ボランティアに参加した。不法移民の集落で男の子と遊ぼうとしたが、にこりともしない。目の前の子ども一人笑わせることができない自分に、無力感をおぼえた。
3年になって、長崎大などが募集する平和活動プログラム「ナガサキ・ユース代表団」に加わった。
昨年3月下旬、米ニューヨークの国連本部で開かれた核兵器禁止条約の交渉会議。カナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(86)の演説を間近で聞いて、力強い声と言葉の重みに鳥肌がたった。各国代表が淡々とスピーチしていた会場の空気が一変し、誰もが引き込まれているのが分かった。
条約は7月7日に採択された。人が人を動かす力でこんな大きな条約も作れちゃうんだ――。サーローさんや、地道にロビー活動する核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメンバーの姿に、そう気づかされた。
帰国後、大学を1年間休学し、小学校などで平和教育の出前授業をしていたユースの活動を引き継ぐ団体「ピース キャラバン隊」を立ち上げた。これまで1年ほどの間、紹介や口コミもあり、県内外15校ほどで授業をした。
被爆者がいなくなる時代は着実に近づいている。被爆者の講話に耳を傾ける形式から、自分の頭で考える力を養う授業へ――。年齢の近い大学生が講師をするからこそできることだと信じる。出前授業を「商品化」し、大学卒業後も団体の運営を続けられるようにしたいと思っている。
新しい挑戦は大変だけれど、一人ひとりを動かすことが大きな力になることを知っているから頑張れる。まずは子どもたちから。「大事な問題こそ、答えはすぐに見つからない。分からなくても、考える。そして動いてみる。それが、大事なんだと思う」(田部愛)