長崎に原爆が落とされた9日午前11時2分、創成館(長崎)の選手たちは創志学園(岡山)との第3試合を前に、阪神甲子園球場の室内練習場で黙禱(もくとう)した。「戦争」や「平和」。少しだけ、身近に感じ始めた球児がいる。
8月9日――。創成館の右翼手、17歳の松山隆一君(3年)が思い浮かべるのは「宿題」だ。長崎では多くの学校が平和学習のため、この日を登校日にする。夏休みのほぼ中間。宿題の半分の提出が求められる。
国語や算数の分厚いプリントの束に加え、読書感想文もある。「この日って憂鬱(ゆううつ)なんです。7日あたりから、もうかかりっきりで」
原爆や戦争は、自分には関係ないと思ってきた。毎年の黙禱では、一応目をつぶる。「目、閉じてないやつおるやろ」と思ったこともある。小学校時代、授業の一環で訪れた長崎原爆資料館で友達と走り回り、先生に怒られた。「平和」にはせる思いより、いつもいたずら心が勝った。
そんな気持ちが変わり始めたのは、高校生になってから。お盆休み、原爆を取り上げたテレビを見ていた母の紀子さん(48)から告げられた。「あんたも3世なんよ」
母方の祖母、畑地美知子さん(73)は、生後1カ月半で爆心地から約8・5キロの自宅で被爆した。家族8人は全員無事だったが、小学校を卒業する頃まで定期的に血液や尿の検査をしていたと聞いた。現在患う脳梗塞(こうそく)は、被爆が原因ではないかと考えることもある。
急に戦争や原爆を身近に感じるようになった。「初対面なのに、共通の友達がいる感じ」になった。
思えば双子の弟とよくキャッチボールをした実家の庭には、小さい防空壕(ごう)があった。暗く、少しひんやりしていた。「なんか怖くて、飛び込んだボールを取りに入るのが嫌だった」。戦争の傷痕は、いつもそばにあった。気づいてはいたが、考えていないだけだった。
長崎代表が8月9日に甲子園で初戦を迎えるのはこの5年で3回。「多くの人から期待を感じた。やっぱり、特別な日なのかも」
今はまだ、頭は野球のことでいっぱいだ。でも8月9日への思いは、何となく変わり始めた。「戦争や原爆のこと、知っていかなきゃと思います。少しずつでいいんで」(横山輝)